邵家棚遺跡の車馬坑で見つかった殉馬。頭部に貝殻ビーズの輪を戴き、青銅に金を貼った泡飾(装飾品の一種)が額に掛けられている。(資料写真、鄭州=新華社配信)
【新華社鄭州1月10日】中国河南省安陽市文物考古研究所はこのほど、同市にある商(殷)代遺跡、殷墟(いんきょ)保護区の東南端、殷墟宮殿宗廟遺跡から2400メートルの地点にある邵家棚(しょうかほう)遺跡が、考古学者により商代「冊族」の重要生活エリアと判断されたと明らかにした。殷墟宮殿区を守る役割を果たしたという。
遺跡は中国社会科学院考古研究所安陽ワークステーションと安陽市文物考古研究所の合同発掘チームが、2019年10月から2021年12月にかけ発掘調査を実施。商周時代の建物基礎18カ所、「中」字型の大規模墓1基を含む墓24基、車馬坑4基と車6台が見つかり、精美な造形を持つ青銅器や玉石器、骨器、貝器、車馬器などが出土した。
安陽市文物考古研究所の孔徳銘(こう・とくめい)所長は「甲骨文には冊族の記載があり、今回出土した複数の青銅器から『冊』字の族徽が見つかった」と説明。「『中』字型の特大墓と車馬坑4基の発見は殷墟南区の調査で初めて確認された。遺跡の状況もこれまで見つかった遺跡と大きく異なる」と述べた。
「中」字型大墓は深刻な盗掘被害を受けており、わずかな土器と車馬器が発見されたのみだったが、その他の墓からは鼎や觚(こ)、爵(しゃく)などの青銅礼器20点余りが見つかり、一部の銘文に「冊」字が含まれていた。
車馬坑4基からは、計6台の車両と殉葬された人と馬が発見され、車や馬には豪華な装飾が施されていた。車両の一つから権杖が見つかったほか、一部の殉葬者は貝殻ビーズをつなぎ合わせた帽子を身に付けていた。殉馬も頭部に貝殻ビーズの飾りを掛け、額部分には青銅に金を張り付けた「泡飾(装飾品の一種)」を付けていた。孔氏は「これらが安陽地区で出土するのはめずらしい。車馬の持ち主の地位と権勢の高さを反映している」と述べた。
18の建築基礎は、三つの中庭式建築を形作っていた。「中」字型大墓は中央の建築の下から見つかった。詳細な調査により、これらの建築の建設時期は商代末期で、何度も修復が繰り返され、周が商を滅ぼす前後に廃棄されたことが分かった。孔氏は「基礎の前には木板で段差が設けられ、内壁には装飾も見つかった。殷墟の調査では初めての発見だ」と指摘。商代の建築方式や建材、配置、内部装飾を研究する上で重要な価値があるとの認識を示した。
これらの発見により、邵家棚遺跡は高い格式と大きな規模を持つことが示されたが、冊族がどのような社会的地位を持ち、社会的分業を担い、商代王族との関係を築いていたかは、今後の研究結果を待つ必要があるという。
孔氏は「邵家棚遺跡は豊かな文化を持ち、各遺構の保存状態も良く、出土品の数と種類も多い。殷墟遺跡の範囲と配置、殷墟南区の商代遺跡の文化と文化発展序列を研究する上で重要な意義を持つ」と語った。