「九・一八」事変から95年 植民地支配の正当化を許さぬ証拠

「九・一八」事変から95年 植民地支配の正当化を許さぬ証拠

新華社 | 2026-09-29 22:27:45

吉林省遼源市の炭鉱労働者の墓地遺跡に設けられた「遼源鉱工墓陳列館」で、遺骨の保存・管理に当たる劉玉林(りゅう・ぎょくりん)さん(右)と娘の劉宏穎(りゅう・こうえい)さん。(2018年4月4日、遼源=新華社記者/張楠)

 1943年の冬、中国東北部の傀儡(かいらい)政権「満州国」支配下にあった西安炭鉱(現在の吉林省遼源市)で、炭鉱労働者の李興余(り・こうよ)さんは、帰省のための休暇申請書を提出した。「3人の息子がみな死んでしまい、胸が張り裂ける思いです」「故郷には70歳を超える目の見えない母がいます」「もう働く気力がありません」。しかし、申請が認められることはなかった。

 吉林省遼源市には、日本占領期に犠牲となった炭鉱労働者の墓地遺跡を保存する資料館がある。李さんの休暇申請書は現在、ここに保存されている。敷地内には、ほぼ全身の骨がそろった197体分の遺骨と、20体分余りの断片的な遺骨が展示されている。頭蓋骨に刃物による傷が残るものや、足の骨が切断されたものもあり、犠牲者の中にはわずか13歳の子どももいた。

 こうした資料や遺骨は、日本軍国主義が中国東北部で進めた植民地支配と資源略奪の実態を今に伝えている。

江蘇省南京市の侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館で、防空警報が鳴り響く中、黙とうする人々。(9月18日、南京=新華社配信/蘇陽)

 明治維新後、日本はアジアで軍事的な勢力拡大を進めた。豊富な資源を有し、戦略的に重要な位置を占める中国東北部は、その主要な標的となった。1931年9月18日、関東軍は「九・一八」事変(柳条湖事件)を引き起こし、半年足らずで中国東北部全域を占領した。その後、日本による支配は1945年まで14年に及び、資源の徹底的な略奪と住民に対する過酷な搾取が続いた。

 まず経済面では、日本の工業を中国東北部の原料で支える仕組みがつくられた。日本は南満州鉄道(満鉄)をはじめ、電力や石炭などの分野で200社以上の企業を設立し、地域の主要産業を掌握した。統計によると、1932~45年に日本が中国東北部から略奪した資源は、石炭2億2300万トン、銑鉄(せんてつ)1100万トン、穀物1億2千万トン、木材1億4千万立方メートルに上り、日本の戦争遂行を支えた。また、アヘンの原料となるケシの栽培を拡大させ、アヘンの密輸によって多額の利益を得た。

 教育面では、「国を支配するには、まずその歴史を消す」という考え方に基づく政策が進められた。1932年に「満州国」が成立すると、日本語は「国語」の一つとなった。中国語は「満語」とされ、教育現場では日本語の使用が優先された。言葉を教えることではなく、自らの歴史や民族的な帰属意識から子どもたちを引き離すことが狙いだった。中学校の教科書も改められ、中国の伝統文化や歴史に関する記述が削られる一方、「満州国」の「独立」を強調する内容が盛り込まれた。

 炭鉱などの労働現場では、人命を顧みない労働者の使役が続いた。安全対策がほとんど講じられない劣悪な環境で、多くの労働者が飢えや病気、過酷な労働によって命を落とした。暴行を受けて死亡したり、焼き殺されたりした例もあった。当時の日本側の石炭生産に関する資料では、中国人労働者が火薬や雷管と並んで生産に必要な資材として計上されていた。労働者の命を消耗品同然に扱う実態が、記録にも表れている。

 統計によると、抗日戦争期間中、日本が中国各地で強制的に労働に従事させた中国人は1千万人を超え、東北部だけでも過酷な労働や虐待などによる死者は200万人に上ったとされる。

 日本軍は細菌兵器の研究開発や人体実験も行った。関東軍の731部隊は、ハルビンに世界最大の細菌戦基地を設け、拘束した人々を対象にペスト菌や炭疽(たんそ)菌、コレラ菌などを使った感染実験のほか、凍傷や毒ガス、減圧環境が人体に及ぼす影響を調べる実験を行った。推計によると、日本軍が中国で行った細菌戦による死者は約65万人に上る。

北京市の宛平城の城壁に残る「七七事変(盧溝橋事件)」の弾痕を見学する市民。(8月15日、北京=新華社記者/張笑宇)

 しかし今日に至っても、日本の一部の右翼勢力は、こうした植民地支配と侵略の歴史を正面から受け止めようとせず、侵略戦争を「欧米の植民地支配からアジアを解放するための戦争」だったと主張している。日本が鉄道や工場、発電所などのインフラを整備し、「善政」を敷いたことで、アジアの一部の国や地域の「近代化」を促したというのである。

 だが、占領地で進められたインフラ整備は、日本の戦争遂行に必要な物資の確保や輸送を目的としていた。資源の略奪や住民に対する過酷な支配は人々の暮らしを困窮させ、アジア諸国の経済・社会に深刻な打撃を与え、植民地支配を受けた国々の発展を妨げた。いわゆる「善政」は、実際には数々の加害行為の証拠であり、人々に深い傷を残し、多くの命を奪う仕組みだった。

 日本が掲げた「大東亜共栄圏」の実態は、アジアの人々を共に繁栄させるものではなく、日本の侵略と支配を広げるものだった。もし「共栄」だったというなら、数千万もの軍人や民間人が日本軍国主義によって死傷した事実をどう説明するのか。

 「九・一八」事変から95年がたった今も、日本の一部の右翼勢力は侵略と植民地支配の歴史を美化し、「植民地支配には功績があった」とする主張を繰り返している。過去の侵略行為をなかったことにし、その歴史を過去のものとして片付けようとするこうした動きを、中国の人々も、かつて日本の侵略を受けた他のアジア諸国の人々も、決して受け入れることはない。

 歴史を書き換えることはできない。李さんが残した休暇申請書も、炭鉱労働者の遺骨も、当時の資料も、何が起きたかを伝える明確な証拠である。「九・一八」の歴史を語り継ぐのは、憎しみを次の世代に引き継ぐためではない。過去の出来事を理解し、その記録と教訓を後世に伝えていくためだ。これらの証拠が残る限り、歴史の真実が失われることはない。日本の右翼勢力が植民地支配を正当化しようとするたくらみが成功することは決してない。

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 筆者:周亜欣(国際問題評論家)

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