石製地雷「石雷」で戦った大沢山抗日根拠地 中国山東省

石製地雷「石雷」で戦った大沢山抗日根拠地 中国山東省

新華社 | 2026-09-19 21:09:30

大沢山抗日戦争紀念館。(資料写真、平度=新華社配信)

 【新華社済南9月19日】中国山東省の大沢山は、抗日戦争期に根拠地が築かれ、地雷戦が早くから展開された。日本軍の襲撃に対抗するため、民兵は現地で手に入る石を使った「石雷」を考案し、これを使った地雷戦を繰り広げた。

 大沢山は平度市や莱西市、莱州市などにまたがり、膠東半島西部で最も標高の高い山地である。1938年9月には八路軍山東人民抗日遊撃隊第5支隊の部隊が一帯に入り、根拠地の整備を進めた。

大沢山抗日戦争紀念館に立つ抗日英雄紀念碑。(資料写真、平度=新華社配信)

 平度市の共産党史に関する資料によると、日本軍と傀儡(かいらい)軍は38年以降、大沢山の根拠地に対する掃討を繰り返した。41年には西麓の高家、韮園、南台、北台、所里頭の5村の民兵が共同防衛組織「高家民兵聯防」を結成し、根拠地の防衛に当たった。掃討はその後も続き、高家村では42年、222戸のうち183戸の家屋が焼失し、多くの住民が家を失ったという。

 根拠地を守るため、民兵らは現地で手に入る材料を利用した地雷の開発を進めた。試行錯誤の末、高家村の石工、高方和(こう・ほうわ)が41年秋、石に穴を開けて爆薬と起爆装置を仕込んだ最初の石雷を作り、爆発させることに成功した。

大沢山抗日戦争紀念館。(資料写真、平度=新華社配信)

 石雷はその後、各村で改良が重ねられ、広く製造されるようになった。石雷を使った地雷戦も膠東各地へ広がり、民兵による抗戦に取り入れられた。

 大沢山には現在、当時使われた警報鐘や、「地雷戦を展開せよ」「根拠地を守れ」と刻まれた岩壁などが残る。かつて戦場となった一帯では現在、ブドウ栽培などを柱とする農村振興が進められている。(記者/王凱、李傲秋)

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