
世界反ファシズム戦争ハイラル紀念園の全景。(フルンボイル=新華社配信)
【新華社フフホト9月17日】中国内モンゴル自治区フルンボイル市には、旧日本軍が築いたハイラル要塞の遺構が残り、現在は「世界反ファシズム戦争ハイラル紀念園」として整備されている。訪れた人々は、1945年の要塞攻略にちなんだ45段の階段を上り、園内の彫刻や博物館、地下要塞の遺構を見学する。
31年9月18日に起きた「九・一八」事変(柳条湖事件)を機に、日本は中国への侵略戦争を本格化させた。同園の解説員、張蕾(ちょう・らい)さんによると、関東軍は34年にハイラル要塞の建設を始め、3年半をかけて37年末に完成させた。
要塞の範囲は21平方キロに及び、地下施設の総面積は1万平方メートル。ソ連の従軍記者は後に、その規模を「地下都市」と表現した。日本軍が中ソ・中蒙国境地帯に築いた17カ所の要塞のうち、最大規模で、設備も最も充実したものの一つとされる。
建設には、河北、遼寧、山東などから労働者募集を装って連行された数万人が従事した。作業の手を少しでも緩めると激しい暴行を受け、銃殺されることもあった。工事の終盤、日本軍は軍事機密を守るため、労働者をまとめて殺害し、遺体をハイラル川北岸の「万人坑」に遺棄した。

世界反ファシズム戦争ハイラル紀念園の広場に立つ彫像。(フルンボイル=新華社配信)
ソ連は45年8月8日、日本に宣戦布告し、翌9日に中国東北部へ進攻した。ハイラル要塞は主要な戦場の一つとなり、東北抗日聯軍、ソ連軍第36軍、モンゴル軍の騎兵部隊が連携して攻撃した。18日には日本軍の兵士3827人が要塞を出て投降した。
ハイラルに住む李汝清(り・じょせい)さん(88)は、抗日戦争に関する資料を長年にわたって集めてきた。自宅には、年月を経た新聞や証票、各種資料が所狭しと置かれている。「貴重なものがたくさん廃品として捨てられていた。それを一つ一つ買い戻してきた」と話す。
数十年かけて集めた収蔵品は、旧日本軍による中国侵略を示す資料や傀儡(かいらい)政権「満州国」の紙幣、記章など300~400点に上る。中には、旧日本軍の731部隊がフルンボイル市の輝河(きが)一帯で少数民族の住民に対し細菌や毒ガスの実験を行ったとする記録もある。犠牲者名簿の最年少は2歳だった。
定年退職後は、戦争の歴史を伝えるボランティア活動を続けてきた。今年は地域や学校、行政機関で展示や関連行事を20回開き、延べ1100人余りが参加した。「私は収集家ではない。守り手だ」と李さんは語った。(記者/趙沢輝)