日本の元憲兵が残した謝罪碑 中国人への「おわび」刻む

日本の元憲兵が残した謝罪碑 中国人への「おわび」刻む

新華社 | 2026-09-15 19:43:45

7日、群馬県吉岡町にある大沢雄吉氏の謝罪碑。(東京=新華社記者/陳沢安)

 【新華社東京9月15日】群馬県吉岡町にある墓地で、倉橋綾子さん(79)は父の謝罪碑の前に立ち、「父が中国でいったい何をしたのか、ほんの少しでも話してほしかった」と語った。

 倉橋さんの父、大沢雄吉氏は旧日本軍の憲兵として中国各地に勤務した。1945年に日本が敗戦、降伏した際にはソ連軍の捕虜となったが、その後脱出し、各地を転々とした末に日本へ戻った。

 86年、病状が悪化した大沢氏は1枚のメモを倉橋さんに手渡し、その内容を自身の墓碑に刻んでほしいと頼んだ。メモには、旧軍隊に12年8カ月勤務し、うち10年間は中国各地の憲兵隊に勤務した経歴が記され、「侵略戦争に参加、中国人民に対し為(な)したる行為は申し訳なく、只管(ひたすら)お詫(わ)び申し上げます」と書かれていた。

7日、群馬県吉岡町にある大沢雄吉氏の謝罪碑の前で、新華社の取材に応じる倉橋綾子さん。(東京=新華社記者/陳沢安)

 倉橋さんによると、父は謝罪の言葉を碑に刻むことを望んだものの、中国で具体的に何をしたかについては一度も語らなかった。碑の建立には、家族から「家名を傷つける」などとして強い反対があったという。

 明治学院大学国際平和研究所の松野誠也研究員は12日、東京で新華社の取材に応じ、関東軍の発足当初から、中国には憲兵隊が存在していたと説明した。「日本軍による中国侵略の過程で、現地の人々を弾圧する手先、先兵として非常に重要な役割を果たした。非常に大きな権力を持った、恐ろしい組織だった」と語った。

 倉橋さんは、謝罪碑を建てたいという父の願いを忘れなかった。建立に反対していた兄が亡くなった後、甥に手紙を送り、同意を得た。98年、一族の墓地の一角に碑を建て、父の謝罪の言葉をそのまま刻んだ。

7日、埼玉県越谷市の自宅で新華社の取材に応じる倉橋綾子さん。(東京=新華社記者/陳沢安)

 元中学校教員の倉橋さんは、日本は戦争について十分に反省していないと話す。日本に侵略の歴史を反省するよう呼びかけるとともに、父の謝罪の言葉がより広く伝わることを願っている。日本で右傾化が進み、「新型軍国主義」の思潮が台頭する中、碑が悪意によって損壊されることを懸念し、今年、吉林省の長春師範大学に碑のレプリカを寄贈することを決めた。

 倉橋さんは「目の前から消えてしまったものは、やがて心の中からも消えてしまう。この言葉がいつの日か現実のものになってしまうことを、私は望んでいません。この謝罪碑が決して損なわれることなく、いつまでもここに立ち続けてほしい。歴史の真実を明らかにし、世界の平和を守り続けてほしいと心から願っています」と語った。

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