「うさぎ島」に残る毒ガス製造の歴史 広島県・大久野島

「うさぎ島」に残る毒ガス製造の歴史 広島県・大久野島

新華社 | 2026-09-13 20:25:30

3日、瀬戸内海に浮かぶ広島県・大久野島。(大久野島=新華社記者/陳沢安)

 【新華社広島9月13日】広島県竹原市にある大久野島は、瀬戸内海に浮かぶ面積約0・7平方キロの小さな島で、現在では野生のウサギが数多く生息することから「うさぎ島」として知られている。しかし戦時中には日本軍の毒ガス工場が置かれ、「毒ガスの島」と呼ばれる歴史を持つ。

 日本は戦時中、毒ガスの製造から兵器への充塡(じゅうてん)、要員の訓練まで、毒ガス戦に必要な一連の体制を整えていた。大久野島の工場が毒ガスの製造を担い、九州地方の曾根製造所では毒ガスを砲弾や爆弾に詰め、千葉県の陸軍習志野学校では毒ガス戦に従事する要員の訓練が行われた。

3日、大久野島毒ガス資料館を見学する男性。(大久野島=新華社記者/陳沢安)

 毒ガスなどの使用は1925年のジュネーブ議定書で禁止されていた。大久野島での毒ガス製造は、工場の建設から終戦まで外部に知られないよう秘密にされていた。島で製造された毒ガスの大半は中国に運ばれ、実戦で使用され、中国の多数の軍人や民間人が死傷した。一部の毒ガス弾は戦後も中国に遺棄され、地元住民に被害を及ぼしてきた。

 市民団体「毒ガス島歴史研究所」の山内静代代表は「遺棄された毒ガスは今なお中国の人々の命を奪い、環境を汚染し、暮らしを脅かしている。極めて重大な犯罪だ」と語る。

3日、大久野島の長浦毒ガス貯蔵庫跡。(大久野島=新華社記者/陳沢安)

 1945年の日本の敗戦後、大久野島では、毒ガス製造の実態が明るみに出るのを防ぐため、毒ガスの処理や関連文書の焼却が行われた。現在も島に残る遺構からは、当時の処理の様子をうかがうことができる。長浦毒ガス貯蔵庫跡は地面や上部が植物に覆われているが、内部の壁には黒く焼けた跡が今もはっきりと残っている。

 広島県原爆被害者団体協議会「被爆を語り継ぐ会」の楠本昭夫さんによると、敗戦後の処理では、まず貯蔵タンクから毒ガスを抜き取り、その後タンクを搬出した。壁面に毒ガス成分が残留している可能性があるとして、火炎放射器で焼却処理したと伝えられている。

3日、大久野島毒ガス資料館で、毒ガス製造の歴史を説明する「被爆を語り継ぐ会」の楠本昭夫さん。(大久野島=新華社記者/陳沢安)

 戦後81年を経ても、大久野島の毒ガス製造の歴史は日本で広く知られているとは言い難い。報道写真家の樋口健二さんは、日本政府は「毒ガスの島」としての歴史を人々の記憶から遠ざけようとしているのではないかと話した。

 呉工業高等専門学校の小倉亜紗美准教授は、日本の学校ではこの歴史がほとんど教えられていないと指摘する。日本がかつて毒ガスを製造し、中国に深刻な被害を与えた事実を知る必要があるとし、自身が島で見聞きしたことを学生たちに伝えていきたいと語った。(記者/陳沢安、楊智翔)

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