河北省滄州市の京杭大運河沿いにある滄曲書舎の前を歩く人。(2022年5月24日撮影、滄州=新華社記者/駱学峰)
【新華社南昌3月17日】文明間の対話を続けながら固有の文化的アイデンティティーを守る方法を世界が模索する中、中国の伝統的教育機関「書院」が、時代を超えた知恵として再び脚光を浴びている。
異中求同——差異の中に共通点を求めて
書院の起源は唐代(618~907年)にさかのぼる。教育と蔵書、礼学、学術論争を一体的に担う中国独自の機関として発展し、宋代(960~1279年)には中国の主要な知的拠点となった。学者たちはそこで批判的思索に励み、活発な議論と討論を繰り広げた。
書院の知恵が西洋に伝わり始めたのは明代(1368~1644年)で、16世紀末にイタリア人宣教師マテオ・リッチが江西省南昌市の豫章(よしょう)書院を訪れ、白鹿洞書院洞主の章潢(しょう・こう)と交流を結んだ。リッチは西洋の天文学・地理学・数学の知識を持ち、章は数千年来の儒学の学統を受け継いでいた。リッチは章の指導の下で儒学の経典を学び、章はリッチから得た西洋の地理的知識を自らの著作に取り込んだ。両者の関係は相互尊重と交流を体現していた。
リッチはローマへの書簡で、中国の経典にはキリスト教の信仰と一致する点が少なくないと記している。
江西省社会科学院院長で書院文化研究センター主任の肖洪波(しょう・こうは)氏は、「異中求同(差異の中に共通点を求める)」の精神こそ、対立や葛藤を乗り越える中国伝統文化の重要な知恵だと指摘した。
対話の精神は今も生き続けている。2025年10月、福建省の考亭書院で開かれた国際会議「朱子学と世界文明の対話」には51カ国・地域から約200人の研究者が参加。南宋の儒学者・朱熹(しゅき)の思想が、文明間の衝突解消にいかに貢献できるかを議論した。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)第42回総会議長を務めたルーマニアのシモナ・ミレラ・ミクレスク氏は、学びと徳を不可分とする朱熹の信念は理解・学習・相互尊重を通じて平和を構築するユネスコの使命に通じると指摘した。
「文明の衝突」論が今も一定の影響力を持ち、分断と対立が人類の前進を阻む時代において、千年の実践を積んだ書院は対話を促進し、協力を深める東洋の知恵を発信し続けている。
韓国・慶州の玉山書院。(2025年8月3日撮影、慶州=新華社記者/姚琪琳)
文明対話の新たな場として
書院の精神に触発された朝鮮の儒学者・周世鵬(チュ・セブン)は、1543年に白鹿洞書院を手本として朝鮮半島初の書院となる白雲洞書院を創設。朝鮮ではその後約200年の間に900を超える書院が相次ぎ設立された。韓国や日本の一部の教育機関では、今も白鹿洞書院の教えが校訓として受け継がれている。
朝鮮を代表するもう一人の儒学者、李滉(イ・ファン)は後に、慶尚北道の白雲洞書院を拡充して陶山書院とし、朱子学を広めた。その文化的影響は韓国人の日常生活に深く根付いている。韓国の千ウォン紙幣には表面に李滉の肖像、裏面に陶山書院が描かれており、すべての韓国人が財布の中に共有する文化遺産として息づいている。
北京大学外国語学院の琴知雅(クム・ジア)副教授は「書院は現代の韓国人にとっても日常生活の一部であり、最も重要な文化の象徴の一つだ」と語った。
中国書院研究センター主任の鄧洪波(とう・こうは)氏は、海外の書院は中国の書院と同じ源流を持ち、本来の役割を受け継ぎながら、伝播した時代や地理的条件によってそれぞれ独自の特色を育んできたと指摘。韓国の書院は礼典の実践を重視し、日本の書院は出版を中心に発展し、東南アジアの華僑書院は故郷とのつながりを保つ精神のよりどころとしての役割を担ってきたと述べた。
鄧氏は、朝鮮王朝や日本の書院に関する史料の体系的な収集・整理を通じ、埋もれていた貴重な文書を見いだした。こうした取り組みは、漢字文化を基盤とする東アジア儒学文明の形成に書院制度が果たした役割を改めて裏づけ、文明間の相互学習という歴史的な営みを学術面から支えた。
福建省南平市の考亭書院を見学する国内外の学者やゲストら。(2025年10月19日撮影、南平=新華社記者/姜克紅)
書院の広がりは東方へと延びる一方、西方への道も開かれていた。
イタリア・ナポリのサリータ・デイ・チネジ(中国人の坂)と呼ばれる路地に薄茶色の3階建ての建物がある。イタリア人宣教師マッテオ・リパが設立した「中国学院(コッレージョ・デイ・チネジ)」だ。清朝(1644~1911年)の宮廷で画家・翻訳者として仕えたリパは、1723年に帰国すると言語と文化の壁を越える人材を育てるため学院を設立した。
学院は1868年までの100年余りにわたり、中国の11を超える省から集まった学生106人を育て、多くが帰国後に東西文明の架け橋となった。1793年に中国を訪れ、清の乾隆帝に拝謁した英国マカートニー使節団の通訳を務めたのも学院の卒業生で、学院の遺産となっている。
その後、学院は数度の改称を経てナポリ東洋大学となり、イタリアの中国学研究の重要な拠点であり続けている。
書院は現代においても文明対話の場として機能している。山東省で定期的に開催されている「尼山世界文明フォーラム」は、書院文化によって世界の研究者を結びつけている。湖南省の岳麓書院は海外から教員を招いてデジタル人文学の最先端研究を進め、白鹿洞書院はライブ配信で講義を世界に届けている。
書院を中心とした交流の実践は、中国文化が世界各地の文明との対話を通じて絶えず刷新と発展を続ける原動力となっている。同時にそれは、世界がいにしえの教育機関を通じて中国をより深く、包括的に理解する機会にもなっている。