
【新華社北京2月11日】中国共産党中央委員会の機関紙「人民日報」は10日、雑誌「世界」元編集長で岩波書店元社長の岡本厚氏による寄稿を掲載した。岡本氏はこの中で、高市早苗首相の発言が「無用の混乱と緊張」をもたらしたと指摘し、相互尊重に基づく真の対話を通じた関係改善に期待を示した。内容は次の通り。
昨年10月、日本国内閣総理大臣に選出された高市早苗氏の「台湾有事は日本の存立危機事態になりうる」という国会答弁は、影響が甚大である。この軽率な発言で、無用の混乱と緊張をもたらした高市氏の責任は重い。
高市氏は経済産業副大臣や総務大臣や経済安保大臣の経験はあるが、外務大臣の経験はない。国会答弁の問題部分は事務方が準備した応答要領にはなかったことが、野党議員の質問主意書への内閣の回答で明らかになった。つまり答弁の「台湾有事」云々の部分は、高市氏個人の逸脱だったのである。自分が詳しくない事柄については、プロからのアドバイスに耳を傾けて言行を慎むことが、賢明な政治家としてあるべき振る舞いである。ましてや高市氏は日本の行政のトップに就いたのであり、発言の重みは一政治家の比ではない。
中国から激しい反発が起きると、高市氏はしきりに「中国には対話を呼びかけている。日本側は常にオープンだ」とくりかえす。しかし、本当に対話を求めているのか、相手が「対話に応じない」ことをことさらに国内、国外にアピールしようとしているのか。後者であれば、それは対話といいつつ対話を求めるものではない。
高市氏が首相に就任して以来の言動を見ると、高市氏にとって、日中対話とは国内向けに自分の「中国に対し妥協しない」姿勢をアピールする場でしかなかったということである。中国側の高市氏への信頼は地に落ちている。こういう相手から対話を呼びかけられて、応じる国や人はあるだろうか。
対話は、国同士の外交から個人同士の会話にいたるまで、人間社会にとって本質的に不可欠な営みである。対話なしには、人間は他者が何を考えているか、相手が敵意をもっているのか、友好を求めているのか、言葉を通じてしかわからないからだ。だから個人間の対話は、挨拶と笑顔で始まるのである。逆にいえば、対話の欠如こそが偏見を生み暴力や戦争を生み出す。国家同士が利害をかけて対峙する外交の場合は、個人間のようにはいかないかもしれないが、首脳同士が対面し、少なくとも相手を信頼して話すことが出来なければ外交にならない。また自分の主張や考えをひたすら述べるのも外交ではない。
高市首相は、日中関係の基盤である日中共同声明ほかの日中間で締結した重要な外交文書において示された姿勢と精神、また国交正常化以来半世紀にわたって積み重ねられてきた両国の先人たちの営々たる努力を理解しているようにも思えない。
高市発言は中国側を怒らせ、その結果、日中両国民の交流・協力にまで影響を及ぼした。しかし、これ以上の対立は両国にとって危険だ。どうすればよいのか。両国側は原則を堅持し、相互に尊重し合い、知恵を結集し、紛争を解消すべきである。国民同士も冷静になり、関係改善に向けてともに努力すること、それこそ対話する場をつくること、ではないだろうか。関係の改善を心から望んでいる。