永陵の正紅門。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
【新華社撫順1月25日】中国遼寧省撫順市新賓満族自治県永陵鎮の北西、啓運山の南麓に、清王朝の皇帝の祖先が眠る「永陵」がある。造営が始まったのは王朝の礎を築いた太祖ヌルハチが中国東北部で女真族の統一を進めていた明の万暦26(1598)年で、後にヌルハチが「後金」を建国すると、天聡8(1634)年に興京陵と呼ばれるようになった。
永陵啓運門の雲竜袖壁(正紅門両側の装飾壁)。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵と改称されたのは清の順治16(1659)年で、清王朝の国土が永く盤石であることを願う意味が込められている。太祖ヌルハチの六世の祖(6代前)メンテム(猛特穆)、曽祖父フマン(福満)、祖父ギオチャンガ(覚昌安)、父タクシ(塔克世)の4人が埋葬され、それぞれの功績をたたえる神功聖徳碑楼が立つ。陵内にはヌルハチの伯父リドゥン(礼敦)と叔父タチャ・フィヤング(塔察篇古)の墓もある。清王朝成立後は1682年から1829年の間に康熙帝、乾隆帝、嘉慶帝、道光帝らが前後合わせて9回、永陵で祖先を祭った。
永陵前の「前清故里」牌楼。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
1988年に全国重点文物保護単位(国宝・重要文化財)に指定され、2004年にはヌルハチの陵墓「福陵」、第2代皇帝ホンタイジの陵墓「昭陵」と共に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産「明・清王朝の皇帝墓群」に追加登録された。(記者/藍建中)
永陵の四祖碑亭。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵参道の下馬碑。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵啓運殿の西配殿と焚帛炉(ふくはくろ=祭祀<さいし>で紙銭などを焚く炉、手前)。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の顕祖宣皇帝タクシ碑。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の興祖直皇帝フマン碑。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の景祖翼皇帝ギオチャンガ碑。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の肇祖原皇帝メンテム碑。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の正紅門。満族初期建築の特徴である柵欄門を採用している。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の東紅門。皇帝や皇后の参拝時、皇帝は東紅門、皇后は西紅門から出入りした。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の宝城。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の宝城。宝城は南北18・7メートル、東西は22・4メートルで前後2段に分かれる。上段は中央に興祖フマン、左に景祖ギオチャンガ、右に顕祖タクシ、下段は左にリドゥン、右にはタチャ・フィヤングがそれぞれ埋葬されている。興祖墓の北東には肇祖メンテムの衣冠塚がある。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の正紅門。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵啓運殿の扁額(へんがく)。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の参道。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の啓運門。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵参道の入口にある世界文化遺産の標識。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の四祖碑亭。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の啓運殿。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵啓運門の扁額(へんがく)。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵啓運殿の東配殿。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の啓運門(裏側)。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)
永陵の啓運門と古井戸(左手前)。(2025年7月4日撮影、撫順=新華社記者/藍建中)