
【新華社東京12月25日】日本の交流サイト(SNS)で最近、防衛大学校の学生が雨の中、靖国神社を集団で参拝する動画が拡散された。物々しい雰囲気の動画は「日本の軍国主義の復活」を強く感じさせる。
これは偶発的な行為ではなく、同校で長年続く「伝統」だという。学生らは神奈川県横須賀市のキャンパスから靖国神社までの「夜間行軍」を行う。
靖国神社では近年、8月15日の日本敗戦の日になると、自衛隊の制服を着た人々による集団参拝が一日中見られるようになった。「靖国史観」に代表される歴史修正主義が自衛隊全体に浸透し、幹部候補の防衛大学校学生も影響を受けているのは明らかである。
日本の防衛省の内部規定は、部隊や自衛隊員が集団で神社に参拝することを禁じているが、今では形骸化しつつある。2024年1月、陸上自衛隊の小林弘樹・陸上幕僚副長(当時)が公用車を使い、数十人の自衛隊員と共に靖国神社を参拝した。事件が発覚すると、防衛省は調査を行ったものの、「私的参拝」と結論付け、主導した小林氏に対しては訓戒処分にとどめた。小林氏は今年3月、陸上総隊司令官に昇進している。
さらに警戒すべきは、「靖国史観」を掲げる靖国神社の「遊就館」が、自衛隊の「歴史教育基地」として扱われていることである。23年5月、海上自衛隊練習艦隊の今野泰樹(やすしげ)司令官(当時)が、制服姿の自衛隊幹部候補160人余りを率いて靖国神社を参拝した。海上自衛隊側は「研修の合間の私的参拝」と弁明したが、「研修」の内容は遊就館の見学だった。
防衛大学校の必修科目「防衛学概論」で使用されている教科書に「靖国史観」を反映する内容が含まれていると日本メディアが報じたこともある。防衛大学校の等松春夫教授は論考で同校の歴史教育を批判し、「大東亜戦争肯定論者」を招いて学生向けの講演をさせている事実を明らかにした。「靖国史観」の影響を受け、24年4月には陸上自衛隊のある連隊がSNSの公式アカウントで公然と「大東亜戦争」という用語を用いた。
自衛隊と靖国神社の深い「結び付き」は人事にも表れている。同年3月、靖国神社は元海上自衛隊海将の大塚海夫氏が第14代宮司に就任すると発表。自衛隊の元将官が靖国神社トップに就任するのは初めてだった。10人で構成される靖国神社の崇敬者総代(氏子総代)にも元海上幕僚長の古庄幸一氏や元陸上幕僚長の火箱芳文氏が名を連ねる。
日本はここ数年、軍拡を加速させ続けており、世論は「存立危機」を騒ぎ立て、政府首脳や要人は周辺地域への武力介入を公然と口にしている。こうした空気の中で、自衛隊と靖国神社、そして「靖国史観」の自衛隊内への浸透は、自衛隊が「地位回復」の道を歩み、戦争を引き起こす軍隊に再び変貌するのではとの懸念を一般の人々に抱かせている。
80年前、日本は戦争に敗れた。77年前の12月23日、東条英機ら7人のA級戦犯が戦争犯罪により絞首刑に処された。今日に至っても、A級戦犯の名簿は靖国神社に祭られている。驚くべきことに、日本の軍国主義が壊滅して80年を経た今もなお、火箱芳文氏のような自衛隊制服組の元トップが「われわれの精神的なよりどころは靖国神社だ」と公言し、自衛隊員の「戦死」への備えが必要だと主張する。
靖国問題に詳しい東京大学の高橋哲哉名誉教授は、靖国神社が軍国主義の精神的支柱として、日本国民を戦争へと動員する上で大きな責任を負っていたと指摘する。日本の安全保障政策が大きく転換し、一部の政治家が「台湾有事」をあおる中で、自衛隊員が「戦死」した場合は靖国神社に祭るべきだという言説が現れていることは、まさしく露骨な「戦争準備」に等しい。(記者/馮武勇)