旧日本軍兵士が父に宛てた書簡、南京大虐殺の罪行を記録

旧日本軍兵士が父に宛てた書簡、南京大虐殺の罪行を記録

新華社 | 2025-12-07 22:10:00

村田芳夫が家族に宛てた書簡の封筒。(南京=新華社配信)

 【新華社南京12月7日】「南京には面白い死刑桟橋があり、毎日、支那敗残兵または傷病兵を日本刀で殺し、射殺しています。死体は全部揚子江に流していて痛快です」。中国江蘇省南京市の侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館で5日、今年新たに収集された文化財・史料の発表会があり、旧日本軍兵士が家族に宛てた手紙が公開され、人々の怒りを買った。

 書簡は、南京戦に参加した国崎支隊歩兵第41連隊の兵士、村田芳夫が1938年1月8日に父に宛てたもので、部隊が南京を占領後に行った虐殺や死体処理の様子が記されていた。鉛筆で書かれ、便箋4枚に及ぶ。

村田芳夫が家族に宛てた書簡の2枚目。南京大虐殺の様子が記されている。(南京=新華社配信)

 江蘇省社会科学院の王衛星(おう・えいせい)研究員は書簡について「犯人自らが残した犯罪の記録だ」と指摘した。南京大虐殺は37年12月13日から38年1月にかけて起き、書簡は38年1月8日に投函された。村田は書簡の中で「面白い」「痛快だ」などの言葉を使っており、王氏は、侵略者は人間性が消えていたことが分かると説明した。

 紀念館の艾徳林(がい・とくりん)文物部主任は「われわれは所属部隊の番号や自宅の住所、死亡時期など村田芳夫の身元を調査した。書簡の信ぴょう性は明確に確認できる」と説明。艾氏によると、書簡に記されていた「国崎独立隊 山田(鉄)部隊」という記述に基づき、日本で刊行された「南京戦史資料集1」の日本軍華中方面軍戦闘序列を調べたところ、部隊が国崎支隊所属の歩兵第41連隊(広島県福山市)であることが判明。また「福山連隊史(中国編)」に収録されていた37年8月15日~42年11月8日の戦死者名簿には村田芳夫の名前があり、住所も書簡の受取人住所と一致した。村田の階級が伍長で、38年4月16日に中国で戦死したことも記録されていた。

 書簡は紀念館が日本の学者、渡辺久志氏から収集した。渡辺氏は南京大虐殺の歴史研究に尽力している。(記者/蔣芳、邱氷清)

「南京戦史資料集1」に収録されている国崎支隊の部隊編成図。(南京=新華社配信)

「福山連隊史(中国編)」の戦死者名簿に記載されている村田芳夫の名前。(南京=新華社配信)

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