ベルリンのブランデンブルク門の前で行われた第2次大戦終結の記念行事に参加した人々。(5月8日撮影)(ベルリン=新華社記者/杜哲宇)
【新華社ベルリン12月6日】ドイツのメルツ首相は1日、ベルリンでポーランドのトゥスク首相と会談後、ナチス・ドイツが第2次世界大戦中にポーランドで行った残虐行為は「歴史の核心的な教訓だ」と述べ、「歴史を忘れず、直視することに終わりはない。ドイツは今後も自らの歴史的責任を担い続ける」と強調した。
同日、ドイツ政府はナチスの暴虐によって犠牲となったポーランド国民を追悼する恒久的な記念碑をベルリンに建設すると発表した。記念碑は「追憶、教訓、そして両国の和解の象徴」と位置付けられるという。ドイツ政府は今年6月にも、ヒトラーがポーランド侵攻を宣言した場所に記念碑を設置した。案内板にはポーランド語・ドイツ語・英語で「ドイツによる占領はポーランドに想像を絶する苦難と破壊をもたらした」と記されている。
ベルリンで開かれた記者会見に出席したドイツのメルツ首相。(7月18日撮影、ベルリン=新華社記者/李函林)
欧州の学者らは、ドイツは「歴史の記憶を通じて国家を再建する」道を歩み、戦後数十年をかけて「欧州の問題」から「欧州の一員」へと転換を果たしたと指摘する。ドイツの歴史学者マルティン・サブロー氏は、戦後ドイツがナチスの残虐行為を認め、反省することで「公共の記憶」を形成し、「自らの恐ろしい歴史を留保なく認めた」と述べている。
ドイツと日本は戦争を引き起こし敗戦した国だという点では同じだが、歴史に向き合う姿勢は大きく異なる。ドイツが過去の罪を反省し、他国への償いに力を注いできた一方、日本は右翼勢力に引きずられ、過去の罪と向き合うことを避け、それを曖昧にし、責任を逃れようとしている。特に最近では、高市早苗首相が台湾に関する誤った発言を行い、反省も拒み、地域の国々や国際社会に警戒感が広がっている。
欧州の世論では、第2次大戦で同じような道をたどった日本とドイツが、歴史に対する認識と態度では鮮明な対照をなしているとの見方が広がる。2015年にメルケル独首相(当時)が訪日した際にも、歴史を直視することこそ「戦後の和解を実現するための前提だ」と安倍晋三首相に指摘している。欧州メディアはこれを「メルケル氏が安倍氏に歴史の授業をした」と評した。
ポーランドの首都ワルシャワにある無名戦士の墓で行われた記念行事。(5月8日撮影、ワルシャワ=新華社記者/張帆)
「安倍路線」の後継者を自認する高市首相の歴史認識も、欧州のメディアや学者に問題視されている。英紙インディペンデントは最近、高市氏がかつて、ナチスを支持する政治団体「国家社会主義日本労働者党」の主宰者とされる人物と写真に収まっていたと報じた。ポーランドのニュースサイト「ディフェンス24」も、高市氏がA級戦犯をまつる靖国神社への参拝を繰り返し、侵略への反省を示した「村山談話」に疑義を呈してきたと伝え、その歴史修正主義的姿勢は日本への西側諸国の信頼を損なう恐れがあると指摘している。
欧州のメディアやアナリストは、高市氏の一連の言動が地域の平和と安定に影響を及ぼす可能性があるとして、国際社会は警戒すべきだとみている。ドイツ紙ディ・ウェルトは高市氏の歴史観について、侵略を否認し戦争を美化する誤った史観であり、「旧秩序への後退」を示すものだと論じた。