
【新華社北京11月26日】日本の高市早苗首相が述べた「台湾有事は日本有事」との発言は、事態に干渉しようとするそのあからさまな野心を浮き彫りにした。その本質は、「危機」を再定義することで、日本国憲法が課する「専守防衛」の制約をくぐり抜ける法的抜け穴を確保することにある。歴史を振り返れば、こうした急進的な政治操作がいかに重大な危険をはらんでいるかは明白である。高市氏の論理は、かつて日本を破滅に導いた軍国主義者の思考と、驚くほどの類似を示している。
時を1931年にさかのぼる。当時、中国東北部への侵略に口実を求めた松岡洋右ら政治家と日本の軍部は、「満蒙は日本の生命線」という荒唐無稽な概念を喧伝(けんでん)して回った。「生存圏」を外部へと拡張するこの誤った論理は、国境の外における侵略を、国家の存亡に関わる「自衛」として美化する風潮を生み出した。
今日、「台湾有事は日本有事」とする論調は、この「生命線論」と本質において同一である。日本の安全保障の境界を他国領土へと強引に押し広げ、地政学的な「利益線」を「存立危機事態」に関わるものとして一方的に意味づけようとするものだ。もしこの論理がまかり通るなら、自衛隊の行動はもはや「本土防衛」の制約を離れ、政治家が描く「利益線」に沿って無限に拡張し得る。これは中国の主権と領土の一体性に対する重大な挑発であるだけでなく、日本が再び対外拡張へ踏み出す法的余地をも生みかねない。
歴史を振り返れば、日本が戦争へ向かった際には常に、政治指導者による「危機」の意図的な創出と拡大利用が見られた。1931年の「九・一八」事変(柳条湖事件)、1937年の盧溝橋事変のいずれにおいても、日本の軍部と急進的政治家が、外部の緊張を人工的に作り出し、国内の反戦の声を封じ込める手法を使った。今日、日本の右翼勢力は再びこの筋書きをなぞっている。
高市氏らは「中国の脅威」を絶えず強調し、台湾海峡情勢への介入を公言してはばからない。その根底にあるのは、改憲を推し進めるために危機を作り出し、「予言の自己成就」を狙う政治的打算である。露骨な挑発によって地域の環境を悪化させ、「平和憲法は無力だ」と主張し、軍拡と改憲への道を切り開こうとしているのである。
1941年、日本が真珠湾を奇襲し、太平洋戦争を起こした際も、米国による経済封鎖を「国家存亡の危機」と位置付け、侵略を「窮地打開」と称した。軍国主義のシナリオは繰り返し演じられ、戦争を仕掛けるための常とう手段となってきた。そして今、高市氏らの政治的レトリックはまさにこの話法と重なる。
戦争は一夜にして起きるのではなく、「危機」の意図的な創出や、「生存圏」の際限ない誇張によって少しずつ準備される。「満蒙は生命線」という虚偽はかつて、日本を破滅の深淵へと引きずり込んだ。「台湾有事」は現在、戦後日本の平和と繁栄の防波堤を崩そうとしている。
日本国民は警戒しなければならない。「存立危機」を看板に掲げ、軍拡や戦争準備を説く右翼政治家こそ、国家を真の危機に導きかねない存在なのだから。(記者/葉書宏)