戦後日本に「専守防衛」が不可欠な理由

戦後日本に「専守防衛」が不可欠な理由

新華社 | 2025-11-25 17:24:45

21日、東京の首相官邸前でプラカードを掲げる抗議集会の参加者。(東京=新華社記者/賈浩成)

 【新華社北京11月25日】日本の高市早苗首相は組閣後、軍事分野で相次いで動きを見せている。報道によると、日本は最近、地対空誘導弾パトリオット・ミサイルの米国への引き渡しを完了、「安保3文書」改定に向けた議論を開始し、さらに「非核三原則」の見直しも検討しているという。高市政権のこうした動きは、長年にわたり「専守防衛」原則から絶えず逸脱し、軍事力を拡張してきた日本の試みが表れたに過ぎない。

 日本の「専守防衛」原則は、1947年5月3日に施行された憲法の第9条にさかのぼることができる。同条は戦争放棄と戦力不保持、交戦権否認を定めており、日本国憲法は平和憲法とも呼ばれている。

 日本は第2次世界大戦の敗戦後に武装解除されたが、50年代初頭にソ連などを抑止するため、米国が日本の再軍備に着手した。54年に創設された自衛隊を憲法9条に適合させるため、杉原荒太防衛庁長官は55年の国会答弁で「専守防衛」という表現を用い、「もっぱら守る、これはあくまで守る、こういう考えだ」と説明した。

 この用語は70年以降に日本の公式文書に頻繁に現れるようになり、継続的な見直しを経て次のように定義された。(「2022年版防衛白書」参照)。「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」。

 「専守防衛」の核心的原則は①先制攻撃を行わず、武力攻撃を受けた場合にのみ必要最小限の自衛を行う②相手の基地を攻撃せず、戦略的攻勢に出ず、攻撃的兵器を保有しない③防衛範囲を日本の領空・領海とその周辺に限定する④受動的防御戦略を採用し、防御作戦の目的を侵攻撃退に限定する-の四つの側面から成り立っている。

 「専守防衛」は、戦後日本が「平和国家」を自認する中で掲げた安全保障理念と防衛政策の核心であり、具体的な内容は多方面に及ぶ。

 第1に、防衛力の規模を制限している。日本は1976年に初めて「防衛計画の大綱」を策定し、防衛費を国民総生産(GNP)の1%以内とする原則を定め、後に国内総生産(GDP)の1%以下と改めた。

 第2に、兵器装備や攻撃能力を制限している。核兵器問題については、67年12月の国会答弁で当時の佐藤栄作首相が初めて「非核三原則」を提起した。

 第3に、「文民統制」がある。英公共放送BBCによると、日本の防衛省の前身である防衛庁と自衛隊が54年に創設された際、第2次世界大戦前の軍国主義体制への反省に基づき制定された防衛庁法第12条は、文官が防衛庁長官(現防衛相)を補佐し、長官が自衛官を統制するという上下構造を規定した。政治家である首相が自衛隊の最高指揮官を務めるため、日本の防衛は文官統制システムであり、日本はこれを「文民統制」と呼んでいる。

 第4に、法律および対外協力に関する制約、第5に、言語(社会)レベルでの制約がある。

 「専守防衛」原則は、戦後日本の平和憲法の精神を反映し、侵略の歴史に対する反省を体現している。平和憲法は日本の国内法ではあるものの、連合国軍の占領下で制定されたため、国際秩序に対する一種の政治的約束となっている点は注目に値する。再び軍国主義の道を歩まないという保証こそが、国際社会が日本に信頼を寄せる基盤なのである。

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