14日、寧波大学で日本語の授業を行う佐々木天珠さん。(寧波=新華社配信/李汶澤)
【新華社寧波10月15日】「自分の人生の軌跡は、中国との深い縁によって変わった」。中国浙江省の寧波大学外国語学院日本語学科で教える外国人教員、佐々木天珠(ささき・あみ)さんは率直に語る。2024年3月に日本の岩手大学大学院を修了し、同年9月から寧波大学で日本語の授業を担当し始めた。
その縁を語る上で、恩師の存在は欠かせない。大学院時代の佐々木さんは、清華大学客員教授で岩手大学名誉教授の藪敏裕(やぶ・としひろ)氏の下で中国思想史を学び、戦国時代の楚国の竹簡に刻まれた文字と思想の世界に引き込まれた。
14日、寧波大学で日本語の授業を行う佐々木天珠さん。(寧波=新華社配信/李汶澤)
「藪先生は中国が大好きで、毎年学生を連れて研究のために中国を訪れ、現地を見て回った」と佐々木さんは振り返る。19年、恩師と共に初めて中国を訪れ、古都・西安の考古学研究プロジェクトに参加。歴史と文化の奥深さに触れただけでなく、人々の温かさにも心を動かされた。
「当時の私は中国についてあまり知らなかった。でも西安への旅が『もう一度中国に来たい』という思いを芽生えさせてくれた」と微笑む。
14日、寧波大学で日本語の授業を行う佐々木天珠さん。(寧波=新華社配信/李汶澤)
寧波という街を知ったきっかけは、高校の英語教科書にあった「中国の重要な港湾都市」という一文だった。恩師から寧波大学で教える機会を紹介され、迷わず受け入れ、正式に同大の一員となった。
実際に訪れてみると、街の活気と開放的な雰囲気は想像以上。国際的な街並みは横浜や神戸を思わせ、多くの中国人教員が学術交流で日本を訪れていることにも親しみを感じたという。「両地域間の文化交流は非常に盛んで、こうした双方向の関わりが、新しい環境への適応や帰属意識を持つ助けになった」と話す。
14日、寧波大学で学生と交流する佐々木天珠さん(左から3人目)。(寧波=新華社配信/黄宇星)
佐々木さんは授業に加え、日本語教材や研究資料の編集にも積極的に携わる。翻訳の専門知識を生かし、大阪・関西万博で開かれた「寧波デー」イベントの運営も支援した。
教室はまさに中日両国の文化交流の縮図だ。「授業中は教師と学生として言語と文化を通じて交流を深めているが、授業が終わると友人のように食事をしたり、語り合ったり、お互いの生活や思いを分かち合っている」と笑顔を見せる。
14日、寧波大学キャンパスの芝生で学生たちと交流する佐々木天珠さん(右から3人目)。(寧波=新華社配信/黄宇星)
学生たちの学習意欲にも感銘を受けている。春節(旧正月)や「教師節」(教師の日)などの節目に届く心のこもったメッセージには、特別な温かさを感じるという。
中国に来てからは、河南省洛陽、北京、陝西省西安、四川省成都、江蘇省南京などの歴史ある都市を巡った。中でも洛陽の竜門石窟と二里頭文化遺跡には強く引かれたと話す。
14日、寧波大学のキャンパスを学生たちと散歩する佐々木天珠さん(中央)。(寧波=新華社配信/黄宇星)
最近では中国のB級グルメ「麻辣燙(マーラータン)」が東京で人気を集め、中国の国宝であるパンダも日本で広く愛されていることに触れ、「こうした変化を授業で紹介し、教室をよりリアルな日中交流の場にしたい」と意気込みを語った。(記者/商意盈、黄筱、鄭可意)