収蔵から展示へ 青蔵高原の美を伝える中国の収集家

収蔵から展示へ 青蔵高原の美を伝える中国の収集家

新華社 | 2025-10-01 14:16:30

自身が初めて収集した仏像を手に持つ李巍さん。(北京=新華社配信)

 【新華社深圳10月1日】鳩山由紀夫元首相は1年前、埼玉県で開かれた刺繍(ししゅう)タンカ(チベット仏画)の展覧会にメッセージを寄せ「刺繍タンカの世界観、宇宙観は必ず人の心に響く。これこそ文化が本来持つ力であり、このような文化交流が今後の平和の礎になる」と称賛した。同展の主催者には中国のコレクター(収集家)も名を連ねていた。

 中国広東省深圳市にある東方瑰宝芸術館。気品あふれる老人がショーケースに並ぶ収蔵品の一つ一つをじっと見つめていた。生き写しのような金銅天女像や「動く壇城」と呼ばれる緙絲(こくし=つづれおり)のタンカなどを見る目には万感の思いがこもる。個々の収蔵品には漢族とチベット族の融合の歴史だけでなく、彼自身の収集人生が刻まれており、「神秘の雪域」青蔵高原との不思議な縁を物語っていた。

 「神秘の雪域」との不思議な縁

 彼の名は李巍(り・ぎ)。今年77歳。50年余り前の一度の善行が仏像や収集活動と生涯の縁を持つことになるとは、全く予想できなかったという。

 「1971年の冬だった。その年の冬は特に寒く、氷点下20度を下回ることもあった」。李さんは当時の出来事を今も鮮明に記憶している。「6、7歳の男の子が裏地のないぼろぼろの服を着て、寒さで手足が真っ赤になっているのを見た。あまりに不憫(ふびん)だったので、かばんから毛糸のベストと靴下を出して着せてやった。男の子の両親が深く感動して、小さな包みを無理やり私に押し付け『善良な方よ、御仏(みほとけ)必ずあなたを守ってくれます』と言った」と語った。

 包みの中には小さな銅鎏金(りゅうきん=金メッキ)の仏像が入っていて、小さいながらも全体にトルコ石や赤サンゴの珠がはめ込まれていた。見事な仏像に心を奪われた李さんは、仏像を収集したいという思いが心の底から芽生えたという。

 「当時、手元にあったのは夫婦のわずかな貯蓄と給料だけだった」。李さんは、収集のために家族を説得し、一家で質素な生活を送った。床に寝て、わが子の結婚のために準備していた資金も収蔵品の購入に充てた。

コレクターとしての李巍さんについて語る息子の李舒迦(り・じょか)さん。(北京=新華社配信)

 李さんの息子、李舒迦(り・じょか)さんは「最初は私も理解できなかったが、その後、父の収集の目的が一貫して伝統文化の保護であり、ある種の責任感に基づくものだとわかった」と語った。

 改革開放の門戸が開かれると、中国の文化財に注目した多くの海外ブローカーが青海省にも来るようになり、人を雇って文化財を大量に買い付け始めた。李さんは限られた収入では太刀打ちできなくなり、安定した職を捨ててビジネスの道に進む決断を下した。目的はただ一つ、祖先の貴重な文化財を流出させないためだった。

 甘粛省名産の硯「洮硯(とうけん)の工場を立ち上げたり、酒造所を経営した。伝統的な製法で復元した洮硯がシンガポールや日本、中国香港、中国台湾などの国・地域で好評を博すと、まとまった資金が手に入った。すぐに寧夏回族自治区銀川市に戻り、工芸美術品店「東方瑰宝」を設立した。

 刺繍タンカを日本で公開、人々を魅了

 2024年10月、日本で初めてとなる刺繍タンカの展覧会「刺繍タンカ芸術展-中国無形文化遺産の美」が角川武蔵野ミュージアム(埼玉県所沢市)で開かれ、貴重な刺繍タンカ86点と金銅仏像(銅鎏金の仏像)10点が公開された。国内外のメディアにも注目され、新華社のほか、AFP通信(フランス通信社)や読売新聞などでも取り上げられた。

角川武蔵野ミュージアム「刺繍タンカ芸術展-中国無形文化遺産の美」に展示された刺繍タンカ。(2024年10月撮影、所沢=新華社記者/郭丹)

 タンカは、チベット仏教文化の重要な担い手で、遊牧民の信者にとっては携帯可能なマンダラといえる。多くは紙や布の巻物で、内容は宗教や歴史、政治、経済、文化、建築、医学、天文学、暦学、民間伝承、世俗の生活など多岐にわたることから「チベット文化の百科事典」と呼ばれ、中国の極めて貴重な無形文化遺産となっている。

 展覧会で展示されたタンカは通常の紙のタンカではなく織物や刺繍で、金と同等の価値があるとされる緙絲や極めて精緻な蘇繡(そしゅう)、満繡(まんしゅう)、牛毛繡(ぎゅうもうしゅう)、打籽繡(だししゅう)など十数種類の織物・刺繍工芸が用いられている。明清王朝の皇帝から下賜されたことを示す「御賜」の落款が刺繍された宮廷宝物など「国宝級のタンカ」といえる作品も出展された。

 展示作品は人物の毛髪や顔の表情、服装、装飾物、さらには皇帝が下賜した文章の一筆ごとの抑揚までが生き生きと表現され、来場者は工芸の美しさと精巧さに目を見張った。

李巍さんが収集した金銅仏像について語る鄭欣淼(てい・きんびょう)旧文化部元副部長・故宮博物院元院長。(北京=新華社配信)

 李さんが収集するタンカに詳しい旧文化部元副部長、故宮博物院元院長の鄭欣淼(てい・きんびょう)氏は「織繡(しょくしゅう、織物と刺繍)タンカは、数あるタンカの中でも最も貴重なもので、現存するものは極めて少ない。タンカの織繡技術は複雑で、通常は完成までに数年かかり、時には一生を要することもある」と話した。

 来場者からは「中華の至宝がこれほど完全な形で保存されていたとは思わなかった」という感想が聞かれた。展示品の前から離れず、何度も繰り返し鑑賞する人も多く、中には感涙にむせぶ人もいた。

 展示を見た西陣織経済研究所の尾田美和子代表理事は「これほど精巧で美しいタンカに大きな衝撃を受けた。学ぶべき織り方が数多くある」と賛辞を惜しまなかった。

 青柳正規・元文化庁長官も「李氏が開いた刺繍タンカ展は、日中の文化交流で中国の刺繍タンカが一度も日本に来たことがないという歴史の空白を埋めた」と高く評価した。

東方瑰宝芸術館で刺繍タンカを見つめる李巍さん。(深圳=新華社配信)

 李さんは「収蔵品は自ら語りかけ、翻訳も言葉による説明も必要ないことを深く感じた。国境を越え、歴史を超えて日本の人々との心の交流を生み出した。中国と外国の文明の交流と学び合いを促進する使者であり、「東方の至宝」の魅力を世界に知ってもらうという私の誓いを、より一層強固にしてくれた」と語った。

 数ある中からただ青海を選ぶ

 「優れた収集家は専門分野を持っている。収集するものもあれば、しないものもある」。青海省の文化財だけを数十年にわたり注目してきた理由を聞かれた李さんは、青海は精神性に満ちた高原だと指摘。収集を始めた場所であると同時に、数十年の収集活動を通じて文化や歴史、風土、人情を深く理解し、熟知していたからだと答えた。

 青海省には聖なる雪山だけでなく、代々受け継がれてきた信仰がある。高原に位置し、西蔵自治区に隣接し、新疆ウイグル自治区と向かい合うだけでなく、河西回廊と内地を結ぶ架け橋にもなっている。明代以降は漢文化と西蔵文化が融合する場所、中国と中央アジア諸国との文化交流の回廊でもあった。

李巍さんの収集活動について語る彭常新(ほう・じょうしん)国家文物局元政策法規司長。(北京=新華社配信)

 李さんの収集活動に長年関心を寄せてきた国家文物局元政策法規司長の彭常新(ほう・じょうしん)氏は「李さんが収集した金銅仏像や刺繍タンカは、いずれも漢文化とチベット文化の融合という顕著な特徴を持つ。チベット仏教の厳格な尺度と作法で丹念に作られる一方で、内地の伝統的な美意識も取り入れている。このようなチベット風でもあり漢風でもある特殊な造形には鮮明な歴史の痕跡が刻まれており、明清時代の中央と西蔵が国の統一を維持し、民族の調和を実現しようとした歴史を伝える一次史料になっている」と語った。

 明清時代の皇帝は、辺境の政権安定のために「冊封制」を通じて青海や西蔵各教派の上層部を懐柔した。頻繁な交流と往来の中で、漢・チベット双方の文化的特徴を備えた文化財が青海から北京へ朝貢され、皇帝は中原文化の特色を持つ器物や青海と西蔵の宗教的特色に合わせて作った器物を下賜した。

自身のコレクター人生について語る李巍さん。(北京=新華社配信)

 苦難を経て 徳をもって事を成す

 李さんは50年余りの収集人生を振り返り、多くの困難と危険を乗り越え、九死に一生を得たこともあったと語った。

 李さんは、生死の境をさまよった忘れられない経験について「チベット族の民家を訪ねるために10時間以上走らせた車が故障し、氷点下30度の高原荒野で立ち往生したこともあった。標高3千メートルの場所だったためエンジンがかからず、酸欠状態に陥った。もうだめかもしれないと思ったが、幸いにも一台の車が通りかかり、私たちを救ってくれた」と話した。また「チベット族居住地域の奥地に行った時、野生のチベット犬に遭遇した。何日も食べていなかったようで、私を見ると飛びかかってきた」こともあった。海外にいた時には「ある宝物が海外ブローカーに買われそうになり、30時間以上かけて飛行機や列車、車を乗り継いでブローカーよりも先に国内に戻り、宝物を守った」という。

 李さんは収集のためならどんな苦労もいとわないとし「真の愛情がなければ、海外流出を防ぐ決意と強い精神力がなければ、収蔵品を長期にわたって保持することはできない。品物を仕入れて売るだけでは商人であり、収集家といえない」と語った。

 「収集は往々にしてその人の器量が表れる。それは『厚徳載物』(徳が高く、度量の大きい)といわれる。徳があれば心の平衡を保つことができ、目先の利益に惑わされずに長期的な視野を持つことができる。高潔な人格がなければ良い物を手に入れることはできない。偶然手に入れたとしても利益のために手放してしまう」。李さんの言葉には長年培われた収集の真髄を感じさせる。

 「眼学+科学」という独自の方法

 文化財の収集では真贋の見極めが重要となる。李さんは「眼学と科学」という効果的な方法を確立したと説明した。

 「眼学」とは、収蔵品を判断する眼力を指す。青海省で長年収蔵品を収集してきた李さんは、品物を見ればその来歴や形状から時代背景や文化的特徴などを即座に判断できる。

収集した仏像を見つめる李巍さん。(北京=新華社配信)

 しかし、真贋を見抜く「千里眼」は一朝一夕には身につかず、学びが欠かせない。李さんは、文化財が属する時代の研究資料を熟読するだけでなく、国内外の大型書店で同じ時代や地域の収蔵品図録を購入し、一つ一つ真剣に学んできた。

 一方で「科学」は科学的検査を指し、精密機器を用いた年代測定などを意味する。李さんは「眼学が全体的な判断だとすれば、科学的検査は精密な判断だ」と語る。

李さんが収集した仏像の鑑定について振り返る中国古代冶金(やきん)史が専門の周衛栄(しゅう・えいえい)中国銭幣博物館元館長。(北京=新華社配信)

 中国古代冶金(やきん)史が専門の周衛栄(しゅう・えいえい)中国銭幣博物館元館長は、李さんが収集した明代永楽・宣徳年間の金銅仏像を鑑定したことがある。一連の収蔵品から採取した試料を化学や物理学、冶金学、考古学など多角的な視点から分析し「東方瑰宝永宣仏像の合金成分と解読」と題する論文を執筆した。

 周氏は2011年11月から12年2月にかけて、李さんの収集した明代永楽・宣徳年間の金銅仏像29体を鑑定。「いずれも古典的な造形と優美な姿態を持ち、全体に鍍金が施され、極めて格式が高いといえる。合金成分は低亜鉛黄銅で、典型的な真鍮像に属する。鋳造は蝋型鋳造法が用いられ、設計や型の接合、鋳造後の加工のいずれにおいても極めて規範的で緻密に仕上げられている」との見解を示した。

 収蔵品から展示品へ-中華文化に輝きを

 浙江省杭州湾の沖に浮かぶ舟山群島は青い海と澄んだ空が広がる。山と海に抱かれたこの「海天仏国」には、巡礼や観光、体験、エコロジーを一つにした文化博覧パーク「普陀山観音法界」がある。

浙江省の文化博覧パーク「普陀山観音法界」を訪れた李巍さん。(普陀山=新華社配信)

 法界内の観音聖壇に足を踏み入れると、壮大な千手千眼観音のドームが目に飛び込んでくる。金色の光を放つ仏像が幾重にも積み重なって天井に続き、光り輝く穹窿(きゅうりゅう=半円ドーム)を形成している。見る者を圧倒する迫力を放つ聖壇の2階と3階には、李さんが2015年から寄贈を続けた金銅仏像と法具700点余りが展示されている。

李巍さんから寄贈を受けた当時を振り返る忻海平(きん・かいへい)舟山市共産党委員会宣伝部・統一戦線工作部元部長、舟山市政協(政治協商会議)元副主席。(普陀山=新華社記者/郭丹)

 「観音法界は、仏教と文化の融合を目指して浙江省と舟山市の共産党委員会が共同で手がけた世紀の文化事業で、芸術事業でもあった」。当時、舟山市共産党委員会の宣伝部長、統一戦線工作部長、同市政協(政治協商会議)元副主席を務めた忻海平(きん・かいへい)氏は、取材に対して寄贈の経緯を説明。「李さんが寄贈した金銅仏像と法具は、観音聖壇の展示を充実させただけでなく、漢文化とチベット文化の融合の歴史をより多くの人々に知ってもらう機会をもたらした。現在建設中の仏造像研究院も中華の優れた伝統文化をより良く保護し、伝承するプラットフォームになる」と述べた。

 「収集家の仕事は収集と保管」という考えで収集に努めてきたが、700点余りの所蔵品を世の人々のために寄贈したことで、李さんの収集人生は大きな転換期を迎えた。

李巍さんが収集した金銅仏像。(北京=新華社配信)

 「実は(観音法界は)初めての寄贈ではない。07年に自らが収蔵する金銅仏像を鑑定する体系的な取り組みを始め、09年4月に『大明永楽年施』の落款のある吉祥天母像を含む金銅仏像22体を中国国家博物館に寄贈した」と李さんは誇らしく語った。

 李さんは収蔵から寄贈への心境の変化について「収蔵品は祖先が残した至宝だと考えていたが、十数年前からそれほど価値の高くない品物が海外に流出し、オークション会社にもてはやされるのを見て大きな憤りを感じた」と振り返り「これほど多くの優れた収蔵品を自己満足のために眠らせておくべきではなく、多くの人々に見てもらい、知ってもらい、研究してもらい、中国の優れた伝統的な至宝の美を世界に示さなければならないと徐々に意識するようになった」と説明した。

李巍さんが収集した金銅仏像。(北京=新華社配信)

 李さんが07年に世に出した精巧で美しい金銅仏像は、専門家たちを驚かした。中国学の大家である季羨林(き・せんりん)氏や学界の権威、饒宗頤(じょう・そうい)氏、文学・歴史学専門家の馮其庸(ふう・きよう)氏、チベット学の大家、王尭(おう・ぎょう)氏、漢・チベット仏教学専門家の談錫永(だん・しゃくえい)氏、造像専門家の歩連生(ほ・れんせい)、孫国璋(そん・こくしょう)両氏など中国学やチベット学界、仏像の大家たちが李さんの収蔵品に関心を寄せ、助言をしたほか、中国人民大学の沈衛栄(しん・えいえい)教授や著名な仏像鑑定家として知られる故宮博物院の王家鵬(おう・かほう)研究館員が、多大な時間と労力をかけて収蔵品の文献考証と実物鑑定を行った。

李巍さんの収蔵品を基に国家文物出版社が編さんした大型図録「錦繍大千-中国古代織繍唐卡(タンカ)集珍」。(北京=新華社配信)

 李さんの収蔵品を基に編さんした「漢蔵交融-金銅仏像集萃」「漢風蔵韻-明清宮廷金銅仏像論集」「錦繍大千-中国古代織繍唐卡(タンカ)集珍」などの大型図録も、国家新聞出版総署や故宮博物院、国家博物館、中国チベット学研究センター、文物出版社など支援の下で相次ぎ出版された。

 「漢蔵交融-金銅仏像集萃」の初稿を見た季羡林氏は、病床で「為中華文化増光輝(中華文化の輝きを増す)」と揮毫。馮其庸氏も「雪域瑰宝 史苑金証(雪域の瑰宝、歴史の金の証)」と記して李さんに贈った。

 李さんは「美しく精巧な収蔵品に行く先を与えるだけでなく、中国語と外国語で書かれたこれらの書籍を文明対話の懸け橋にしたい」と語った。

 無に徹して千年の縁を紡ぐ

 東方瑰宝芸術館の入り口で、李さんは自らしたためた書「無」を見つめていた。

東方瑰宝芸術館に展示されている仏像。(深圳=新華社配信)

 「命に限りはあるが、至宝は千年受け継がれる。数十年の収集人生で、私は幸運にも至宝の保管者となったに過ぎない。これらの至宝は中国の輝かしい文明の象徴であり、人類文明の結晶でもある。収蔵品を展示品に変えることで、中華の優れた伝統文化が世界に広まり、千年先まで伝わることを願っている」と語った。(記者/郭丹)

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