東京で新華社のインタビューに応じる南典男弁護士。(スクリーンショット、東京=新華社記者/楊智翔)
【新華社東京9月21日】旧日本軍が中国に遺棄した毒ガス弾の被害者をはじめ、日本の侵略戦争による中国人被害者を支援する活動を30年以上続けてきた日本人がいる。弁護士の南典男氏だ。東京で新華社の取材に「私たちは法廷では敗訴したが、歴史的事実の認定を獲得した」と語った。
南氏は、中国侵略戦争での中国人犠牲者の対日賠償訴訟に取り組む日本の弁護団の一員。弁護団は1995年に発足し、これまでに約500人の弁護士が参加してきた。南京大虐殺や731部隊、従軍慰安婦、強制労働、平頂山事件、遺棄化学兵器などの被害者を代理し、日本政府や関連企業を相手に一連の訴訟を提起している。
法廷闘争の道のりは容易ではない。一部の訴訟では地裁や高裁で勝訴したものの、最高裁ではいずれも敗訴に終わっている。「根本的な原因は日本政府が加害事実を認めていないことにある」。南氏は「社会が認めることに極めて不十分であることが、政府の姿勢につながっている」と厳しく指摘した。
だが敗訴は、真相が埋もれることを意味してはいない。裁判では全ての事件について、日本軍による加害の事実を明らかにし、被害者がいかに過酷な人生を余儀なくされたかを認めさせた。「事実認定を獲得したことは大きな成果だ。裁判所という国の公的な機関が事実を認めたということは消えない」
1932年9月16日に遼寧省で起きた平頂山事件では、虐殺を生き延びた莫徳勝(ばく・とくしょう)さんら3人が1996年に日本政府を相手に提訴した。原告の訴えは最終的に退けられたものの、判決文は日本軍による虐殺の事実を明確に認定し、次のように記している。
「旧日本兵らは、同村(平頂山村)の住民のほぼ全員を同村南西側の崖下に集めて包囲し、周囲から機関銃などで一斉に銃撃して殺傷した後、生存者を銃剣で刺突するなどして、その大半を殺害し、同時に村の住家に放火して焼き払った。翌17日、旧日本軍兵士や日本側炭坑関係者らは、殺害された住民の遺体を崖下に集めて焼却した上、崖を爆破して遺体を埋め、その周囲に鉄条網を張るなどして立ち入ることができないようにした」
旧日本軍の遺棄毒ガス弾による被害では2014年、黒竜江省チチハル市と吉林省敦化市の被害者が起こした賠償訴訟が最終的に棄却された。だが弁護団はその後も活動をやめず、現在も日本政府に対し、大量に隠されているとされる毒ガス弾に関する公文書の公開を求め、新たな活動を続けている。
「日本政府はいつも毒ガス弾問題を隠そうとする。大量の資料がほとんど黒塗りにされている」。南氏によると、弁護団はこれまでに300件以上の証拠資料を整理し、政府が情報を「非開示」とする理由を一つずつ精査し、異議を申し立ててきた。現在、裁判所に対して資料の全面公開を求めている。
第2次世界大戦中、日本軍は大量の化学兵器を秘密裏に製造し、国際法に反して中国侵略戦争で使用した。記録されているだけでもその数は1241回に上る。1945年の敗戦直前には、罪を隠すために大量の化学兵器を現地に埋設、投棄し、中国各地で人々の生命や財産、生態系の安全に深刻な脅威を与え続けている。大まかな統計によると、戦後今日までに旧日本軍の遺棄化学兵器で死傷した中国人は2千人を超える。
南氏は「旧日本軍が毒ガスを製造し、中国の人々に使用したこと自体が加害行為であり、遺棄は罪を隠すためのものだった」と述べた。
化学兵器禁止条約に基づき、日本は2007年までに遺棄化学兵器を廃棄する義務を負っていた。だが対応の不十分さや資金投入の不足から期限内に完了できず、処理作業は大幅に遅れている。南氏は「どれだけ時間がかかろうと、日本は最後まで責任を負わなければならない」と語った。
南氏によると、弁護団は現在、旧日本軍の中国侵略戦争の犠牲者に関する映像資料やインタビュー記録などを整理している。将来、動画にまとめてソーシャルメディアで公開し、若い世代に歴史の真相を知ってもらう考えだ。
南氏は「戦争をしたらウィンウィンの関係は作れない。自ら加害を行えば必ず被害も伴う。若者たちには、日本の侵略がどれほど重いものだったかを知ってもらいたい。日本は二度と戦争をしてはならないし、それは自らのためでもある」と訴えた。(記者/胡暁格、楊智翔、李子越)