神奈川で相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会 歴史の真実を後世へ

神奈川で相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会 歴史の真実を後世へ

新華社 | 2025-07-29 22:44:30

 27日、相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会で祈りをささげる人々。(相模原=新華社記者/胡暁格)

 【新華社相模原7月29日】神奈川県相模原市緑区の県立相模湖交流センターで27日、1940年代の相模湖ダム建設で命を落とした労働者を悼む「相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会」が開かれた。地元の住民と小中学生、中国・日本・朝鮮・韓国の政府や民間の関係者ら350人余りが参列した。

 本村賢太郎市長は追悼の辞で、中国や当時の朝鮮の人々を含む多くの労働者が、極めて劣悪な環境下でダム建設のために命を失ったと述べ、「多くの尊い命により築かれた相模ダムの歴史を深く心に刻み、次の世代に継承していく」と表明した。

 市内の山間部に位置する相模湖は日本初の多目的ダムによる人造湖として40年に起工、47年に完成し、現在も給水や発電など重要な役割を果たしている。日本は朝鮮半島出身者と日本人、日本軍が強制連行した中国人約300人を含む労働者延べ360万人を徴用した。劣悪な労働条件と非人道的な扱いにより、建設中に命を落とした人も多く、記録に残る中国人犠牲者は28人に上る。

 27日、相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会で黙とうする人々。(相模原=新華社記者/胡暁格)

 歴史の真実を後世に伝えるため、76年に設立された「相模湖・ダムの歴史を記録する会」は、ダム建設で亡くなった労働者の資料を発掘し、79年から毎年、追悼行事を開いている。

 神奈川県は犠牲者の名前と追悼文を刻んだ「湖銘碑」を設置したが、2020年に碑の横にある説明板の「連れてこられた」などの記述部分が何者かに傷つけられた。

 外部からの圧力に直面しても、「記録する会」の橋本登志子会長らは諦めなかった。各方面からの協力の下、説明板は修復され、追悼式も予定通り開催されている。

 27日、相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会で献花する人々。(相模原=新華社記者/胡暁格)

 会の創設者の一人でもある橋本さんは「負の歴史を隠すのはいけない。負の歴史をポジティブに普通に話せる、そういう社会を目指したいと思っている」と語り、戦後生まれの自身についても、戦争に直接関与していなくても傍観していれば加害者と同じであるとの認識を示し、「無知はやはり罪だ」と言葉を継いだ。

 在日中国大使館の康暁雷(こう・ぎょうらい)参事官は、労働者の強制徴用と奴隷化は日本軍国主義が対外侵略と植民地統治時代に犯した重大な罪だと強調した上で、追悼会実行委員会は長年にわたる活動で歴史的正義を貫いており、各界の友人や地元住民も自発的に花を手向け、平和を呼びかけて、「二度と戦争をしない」という信念と決意を示したとして、歴史を記憶にとどめることは、平和を願い、貫く意思を呼び覚ますと語った。

 相模湖の歴史調査に参加した「記録する会」メンバーの多くはすでに高齢となっている。次期会長の古沢めいさんは「誰かが語り継がなければ、掘り起こされた歴史は忘れ去られてしまう。子どもたちに事実を学んでほしい。決して単なる歴史ではない、今に続いている」と話した。(記者/胡暁格、楊智翔)

 27日、相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会で祈りをささげる中学生。(相模原=新華社記者/胡暁格)

 27日、相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会で献花する人々。(相模原=新華社記者/胡暁格)

 27日、神奈川県相模原市の「湖銘碑」を見学する地元住民ら。(相模原=新華社記者/胡暁格)

 27日、相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会で祈りをささげる人々。(相模原=新華社記者/胡暁格)

 27日、相模湖・ダム建設殉職者合同追悼会で献花する人々。(相模原=新華社記者/胡暁格)

 27日、相模湖でレジャーを楽しむ観光客。(相模原=新華社記者/胡暁格)

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