北京で路県故城遺跡博物館がオープン 漢代の都市遺跡

北京で路県故城遺跡博物館がオープン 漢代の都市遺跡

新華社 | 2025-06-24 16:20:16

13日、路県故城遺跡博物館の南側入り口「歴史の眼」。(北京=新華社記者/羅鑫)

 【新華社北京6月24日】中国北京市通州区の路県故城遺跡公園とその南側の路県故城遺跡博物館がこのほど、一般公開された。同遺跡の発見は、通州の都市建設の歴史を2千年以上さかのぼらせ、漢代の県レベルの都市遺跡の考古学上の空白を埋めたことから、2016年の「全国十大考古新発見」に選ばれた。

14日、北京市通州区の路県故城遺跡公園。(北京=新華社記者/羅鑫)

 遺跡は漢代の路県故城跡の中核エリアにあたり、城内の遺跡区と城外の遺跡区、墓葬区からなる。井戸跡も多く見つかり、当時の人々の暮らしや社会生産活動を垣間見ることができる。

13日、路県故城遺跡博物館の陳列ホールに展示されている遼代の擬木構造の磚室墓(せんしつぼ)。 (北京=新華社記者/羅鑫)

 陳列ホールでは、城外遺跡区で見つかった大型の木製井戸がデジタルスクリーン上に「復元」されている。上が丸く下が四角い構造で、ほぞ継ぎでつなぎ合わされた内部の木板、井戸壁と土層の間を埋めたアシやヨシの葉など、余すところなく展示されている。解説員は、井戸は戦国時代に作られ、前漢初期に廃棄されたものだと紹介。「出土遺物の多くは当時の人々の暮らしに深く関わっており、戦国時代にこの地に人々が定住していたことを裏付けている」と説明した。

13日、路県故城遺跡博物館の陳列ホールで、金代の磚室(せんしつ)壁画墓を撮影する人。(北京=新華社記者/羅鑫)

 路県は前漢時代に築かれた都市で、河川に近い平地に位置した。当時の一般的な県城の規模を持つことから、北京地区で郡県制が敷かれたことを示す重要な実物資料となっている。発掘調査では、路県故城の平面プランがほぼ正方形であることが分かり、城壁や城門、壕溝(ごうこう)、道路などの遺構が確認された。城壁の全長は2300メートル余りで、面積は約35万平方メートルに及んだ。

14日、路県故城遺跡公園で、探求型学習に参加する子どもたち。(北京=新華社記者/羅鑫)

 博物館の展示では、唐代に幽州潞県の県丞(けんじょう=県令の補佐役)を務めた艾演(あい・えん)の墓誌も大きな見どころとなっている。墓誌の文字は千年以上を経てもはっきりと読み取れ、艾演は「古潞城から南に一里の平原」に埋葬されたと記されていた。「古潞城」は路県故城、「南一里 」は墓と城跡の位置関係を示しており、極めて高い歴史的価値を持つ。

14日、路県故城遺跡公園内の漢代を模した景色。(北京=新華社記者/羅鑫)

 北京市考古研究院の孫勐(そん・もう)研究館員は「遺跡の発掘作業が進めば、新たな考古学成果が次々と館内の展示に取り入れられる。この『千年の都市』の歴史と今をよりよく伝えることができる」と語った。(記者/羅鑫)

13日、路県故城遺跡博物館の遺跡展示ホールで、遺跡の文化層を見る人たち。(北京=新華社記者/羅鑫)

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