松井味噌社長「大連は唯一無二の選択」 大豆からウイスキーへの35年

松井味噌社長「大連は唯一無二の選択」 大豆からウイスキーへの35年

新華社 | 2025-06-15 10:36:45

 【新華社大連6月15日】「世界の大豆の中で東北三省の大豆が味噌(みそ)に最も適していた。原料を考えれば他に選択肢はなかった」。兵庫県明石市の調味料メーカー、松井味噌の松井健一社長は、遼寧省大連市にある同社の中国法人、大連松井味噌で新華社の取材に応じ、30年以上にわたる中国事業の歩みや中日交流への取り組みを語った。

 中国東北部の肥沃な黒土地帯は大豆だけでなく、味噌の醸造に欠かせない良質の米も産出する。そこに中国の日本企業に対する優遇政策が加わったことで、大連は松井氏にとって「唯一無二の選択」となった。

新華社の取材に応じる松井味噌の松井健一社長。(5月29日撮影、大連=新華社記者/彭純)

 初めて大連の地を踏んだのは1990年。時間がゆっくりと過ぎ、仕事が進まないことに不安を覚えたこともあったが、じっくりと時間をかけて熟成させる味噌には非常に合っているとも感じた。一方で今の中国については「日本の5倍のスピードで変わっていく。多分世界一速い」と発展の速さに何度も言及。スピードの違いが経営理念の衝突をもたらすこともあったという。

 「最初は日本式が良いと思ったが、今は世界で中国がすごく発展している。実は中国のやり方が正しいことも多い」。会議のやり方や生産の進め方、責任の持ち方など中国で学んだことを日本に持ち帰ったこともあった。松井氏のやり方を疑問視する声もあったが、グループの売り上げは中国進出から17年目に100倍になった。「中国は世界の標準になった」と実感を語った。

大連松井味噌の工場で、製品を紹介する松井健一社長。(5月29日撮影、大連=新華社記者/許芸潁)

 松井氏は世界6カ国に21の会社を設立し、年間売上高は200億円を超えた。中国には全額出資した工場が6カ所あり、研究開発と生産を手がけている。松井氏の大連生活は35年になり、中日間の相互理解の促進を自らの使命として「交流すなわちビジネス」という独自のモデルを築いてきた。

 「日本人にも中国人に相手の国の良いところを知ってもらいたい」。中国と日本を毎年往復し、10カ所以上の大学で日本や日本企業の文化について話をするほか、さまざまな経済団体の理事も務め、勉強会や講演会を開催している。さらに、日本の新聞や雑誌に年間130本以上のコラムを寄稿し、日本の読者にリアルな中国を伝えている。「日本の人に自分の目で中国を見てほしい。この地を踏めば印象は確実に変わる」と話した。

大連松井味噌の工場。(5月29日撮影、大連=新華社記者/許芸潁)

 大連では日本からの視察団を受け入れ、両国の企業家の夕食会なども企画している。本業とは関わりのない活動だが大きな効果がある。実際に松井氏のコラムや講演を通じて松井味噌を知った人は多く、さまざまな相談が寄せられるようになった。今では松井氏を中心に「中国を愛する日本人」と「日本を愛する中国人」によるコミュニティーが形成されている。

 11年前にはウイスキー事業を思いついた。当時の中国でウイスキーを飲む人は少なかったが、若い人の間で関心が芽生え始めていることを感じ取った。中国は世界で最も成長著しいスピリッツ(蒸留酒)市場の一つで、ウイスキーは大きな現地化の可能性があり、国産高級酒に対する需要の高まりも感じていた。8年の申請準備期間を経て、2022年に事業許可が下りた。27年に最初の出荷を予定している。「中国ウイスキーとしてナンバーワンになりたい」。松井氏は目を輝かせ「おそらく私の人生最後の目標になるだろう」と語った。

 中国東北地域の一粒の大豆から「中国ウイスキー」の夢に至るまで、大連での30年以上の年月は、松井氏が中国の原料の素晴らしさ、発展の速さを知り、中国の経営の知恵をくみ取り、さらに中国と日本の文化交流の懸け橋になる道のりだった。松井氏の物語は今も発酵を続け、より豊かで味わい深い未来を醸し出している。(記者/彭純、許芸潁、張博群、武江民)

大連松井味噌の工場で、容器詰めを待つ味噌。(5月29日撮影、大連=新華社記者/許芸潁)

大連松井味噌の工場で、作業をする従業員。(5月29日撮影、大連=新華社記者/許芸潁)

大連松井味噌の工場で、作業をする従業員。(5月29日撮影、大連=新華社記者/許芸潁)

大連松井味噌の工場で、作業をする従業員。(5月29日撮影、大連=新華社記者/許芸潁)

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