鄭州日新精密機械で取材に応じる岡崎真之氏。(5月20日撮影、鄭州=新華社記者/楊静)
【新華社鄭州6月7日】「中国製造業の技術進化は、もはや日本の先を行く勢いだ」。日本の機械部品メーカー、イノテック(岡山市)の社長・岡崎真之氏はそう語る。1993年に中国進出を果たしてから32年。内陸都市・河南省鄭州を拠点に、同社は国際的な地盤を着実に広げてきた。
▽技術支援で始まった中国との縁
イノテックの中国との縁は、現社長の父である先代社長の岡崎浩氏による技術支援がきっかけだ。1980年代後半、岡山市の姉妹都市である河南省洛陽を浩氏が訪れ、中日合弁の鍛造工場で技術指導を始めた。やがて1993年、イノテックは鄭州に事務所を開設。その頃、高校生だった真之氏も父に同行し、鄭州を訪れている。20時間以上の列車の旅、街を埋め尽くす自転車の波に「カルチャーショックを受けた」と当時を振り返る。
それから30年以上がたち、鄭州の街は大きく様変わりした。「数カ月来ないだけで街並みが変わるほど、成長が加速している」。岡崎氏にとって鄭州は、企業の命運を大きく左右する「大切な街」となっている。
鄭州日新精密機械の工場内部。(5月20日撮影、鄭州=新華社記者/楊静)
▽鄭州がグローバル展開の中核拠点に
イノテックは2006年に鄭州日新精工、10年に鄭州日新精密機械をそれぞれ全額出資で設立。日本と同様、金型設計から素材鋳造、機械加工までを一貫して手がける体制を構築し、中国での高付加価値製品の生産を実現した。
鄭州日新の製品は現在、約3割が日本向けに輸出されるほか、残りは中国国内や東南アジア・欧米市場へと出荷され、グローバルな市場展開の基盤となっている。「鄭州日新の活躍がなければ、今のイノテックの発展はなかった」と岡崎氏は語る。
鄭州日新精密機械の工場で従業員と話し合う岡崎真之氏(左)。(5月20日撮影、鄭州=新華社記者/楊静)
▽人材こそ最大の資産
同社が中国で成果を上げてきた背景には、製造技術の進化に加え、「人材の力」がある。鄭州日新では、管理職から現場スタッフに至るまで、主体的に会社づくりに関わる意識の高い人材がそろっている。「中国の優秀な人材はわれわれの大きな資産だ」と岡崎氏は強調する。
人材の育成には特に力を入れてきた。鄭州日新は「河南職業技術学院」「鄭州電力職業技術学院」と連携し、「日新クラス」と呼ばれる育成プログラムを展開。これまで数十人の卒業生が同社に就職し、研修を経て日本でも経験を積んできた。こうした取り組みは既に20年以上続いている。
昨年には河南職業技術学院と共同研究拠点「砂型3Dプリント研創センター」を開設した。中国メーカーが開発した砂型3Dプリンターを導入し、先端技術を融合させた次世代型モノづくりを進めている。
ロボットアームが稼働する鄭州日新精密機械の生産ライン。(5月20日撮影、鄭州=新華社記者/単濤)
▽「チャイナ・プラス・ワン」で広がる視野
イノテックは鄭州を起点とした東南アジアなどへの拠点展開も視野に入れている。特にタイでの新拠点設立が検討されており、「チャイナ・プラス・ワン」の戦略で生まれる相乗効果を期待している。
優秀な人材を備えた中国を拠点とすることで、他国への進出が可能になる。第三国に拠点を増やすことがまた、中国拠点への仕事の呼び水にもなる。中国と連携することはさらに、人工知能(AI)や先進的システムの導入が加速する中国のスピード感を日本に持ち込むことにもつながる。
経済の「デカップリング(切り離し)」を訴える論調もある中、イノテックは32年間かけて培ってきた中国との信頼関係に軸足を置く。「これまでの関係を崩すつもりはない。これからも一緒に歩んでいきたい」と岡崎氏。鄭州から世界へ、イノテックの挑戦は続く。(記者/単濤、薛臣、李文哲)