21日、慶成宮の正殿。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
【新華社北京12月24日】中国北京の中心部を南北に貫く中軸線の西側にある先農壇を構成する慶成宮古建築群が21日、初めて一般公開された。
慶成宮は元の名前を齋宮といい、明の天順2(1458)年に創建され、明・清代の皇帝が中国の「先農」(神話上の帝王「神農氏」)をまつる前に心身を清める場所だった。清の乾隆20(1755)年に再建、慶成宮と改名されると、皇帝が「先農」をまつったあと、群臣と祝賀の儀式を行う場所になった。慶成宮古建築群は先農壇内で最高級の造営を誇る。全体の配置が非常に広々とし、装飾は細部に至るまで緻密で、典型的な明代の皇宮建築の風格を表現している。
慶成宮にはかつて、民家が無秩序に建っていた時期もあったが、2023年以来、「北京中軸線」の世界遺産登録へ向けた保護活動の下、北京市の関連部門は同宮の文化遺産区域の建物の明け渡しや、区域外の建築物の取り壊し、古建築に描かれた絵画の保護、文化財の修繕や展示レイアウトなどを進め、560年以上の歴史を持つ古建築群の景観がよみがえった。(記者/羅鑫)
21日、赤い壁に映る慶成宮の屋根と脊獣(せきじゅう、魔除けの屋根装飾)の影。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
21日、慶成宮の一角。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
上:21日、住民が立ち退き、修繕した後の慶成宮正殿の東側区域。
下:住民が立ち退く前の慶成宮正殿の東側区域の資料写真。(組み合わせ写真、北京=新華社記者/陳鍾昊)
21日、慶成宮正殿(右)と後殿。屋根は古代の皇宮建築で最高級の廡殿(ぶでん)式で、緑色の瑠璃瓦が使用されてる。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
21日、慶成宮後殿の文化クリエーティブスペース。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
上:21日、住民が立ち退き、修繕した後の慶成宮正殿の西側区域。
下:住民が立ち退く前の慶成宮正殿の西側区域の資料写真。(組み合わせ写真、北京=新華社記者/陳鍾昊)
21日、慶成宮正殿で行われた一般公開を記念するイベント。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
21日、慶成宮内の宮門。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
21日、慶成宮内の宮門から撮影した正殿。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
21日、慶成宮正殿内で行われたデジタル展。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
21日、慶成宮正殿の窓から差し込む日の光に照らされた女性の髪飾り。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
上:21日、住民が立ち退き、修繕した後の慶成宮内の宮門。
下:住民が立ち退く前の慶成宮内の宮門の資料写真。(組み合わせ写真、北京=新華社記者/陳鍾昊)
21日、慶成宮で行われたパネル展「北京中軸線世界遺産登録に向けた保護活動の成果展」。(北京=新華社記者/陳鍾昊)
21日、慶成宮内の宮門前にある丹陛石(階段にはめ込まれたレリーフ状の一枚石)。(北京=新華社記者/陳鍾昊)