【新華社ハルビン9月18日】1931年9月18日、中国と世界に衝撃を与えた「九・一八事変(柳条湖事件)」が勃発した。11カ月後の1932年8月に中国東北部へやって来た石井四郎はやがて「731部隊」を編成。その引き起こした悪夢は今も、人々の心に影を落としている。
今年94歳の清水英男さんは、1945年に14歳で少年隊員として軍に入隊した。黒竜江省ハルビン市で過ごした4カ月余りの間に、731部隊によるさまざまな残虐で非道な行為を目撃したという。
日本の細菌部隊の犯罪を公の場で証言している数少ない存命の元731部隊の一人である清水さんは今年、長年の願いだった中国行きを決意。8月13日、79年ぶりにハルビンに戻り、かつて勤務していた731部隊の跡地で中国侵略日本軍の犯罪行為を証言した。
当時、標本室で目の当たりにした胎児や乳児、幼児の標本が並ぶ光景は、清水さんの心に大きな影を残した。「自分の子どもが小さい時は標本室のことを思い出した。夜泣きをすれば(それらの子どもも)泣いていたのではないかと思った」
「79年を経て犠牲者に謝罪できた」という清水さん。今の日本人、特に若い人たちは戦争の歴史についてほとんど知らず、教科書でもまともに触れられていないと嘆く。子どもたちが本当の歴史を教えられず、戦争がどれほどの恐怖と悲惨をもたらすかを知らないままでは、日本に未来はないとし、「日本政府として本当のことを言ってほしい。731部隊のやったことを正直に話してほしい」と呼びかけている。
731部隊の跡地には、黒い箱をかたどった延べ床面積は9997平方メートルの侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館がある。731部隊の残虐非道な行為を記録した10万点近い証拠品や歴史資料が収蔵され、毎日1万人を超える人々が訪れ、この場所の歴史に耳を傾けている。