8月26日、長野県飯田市で会見に臨む清水英男さん(中央)。(長野=新華社記者/楊光)
【新華社長野9月2日】中国侵略日本軍第731部隊の元少年隊員で、8月に戦後初めて部隊のあった黒竜江省ハルビン市を訪問した清水英男さん(94)が8月26日、自宅のある長野県飯田市で会見し、「日本政府として本当のことを言ってほしい。731部隊のやったことを正直に話してほしい」と訴えた。
「79年を経て犠牲者に謝罪できた」。清水さんは8月12日から15日にかけて79年前に後にした中国を再訪。ハルビン市の731部隊罪証陳列館と部隊旧跡で日本軍の細菌戦犯罪行為を証言し、犠牲者に謝罪、ざんげした。会見では、中国に謝罪に行くという長年の願いがかなったと話した。
13日に731部隊旧跡に立つ「謝罪と不戦平和の碑」の前で手を合わせた時には、当時の特設監獄で燃え残った人骨を拾ったときの光景を思い出したという。「なんらかの気持ちを汲み取ってもらえればと思い記念碑に手を合わせてきた」「(謝罪をして)満足したら(犠牲者は)許してくれない」と述べた。
8月26日、長野県飯田市で会見に臨む清水英男さん(左から2人目)。(長野=新華社記者/楊光)
清水さんは1945年、731部隊に最後に入隊した少年隊員の一人としてハルビンで4カ月余りを過ごした。短い月日だったが清水さんにとって生涯の悪夢となった。清水さんはかつての回想で、部隊員は細菌実験をしただけでなく、細菌に感染した場合は生体解剖されたと語っている。自身も実験台にされたことがあり、支給された細菌入りの蒸しパンを食べた後に42度の熱が1週間続いたという。
731部隊の診療所は1階にあり、2階は標本室だった。清水さんはそこで妊婦や胎児、乳児、人体臓器の標本を多く見た。敗戦を迎えた部隊は建物を全て爆破し、犯罪の証拠を隠滅して逃走。清水さんも爆破に参加した。今回の訪問で標本を入れていた大量の空き瓶を目にしたが、標本が入っていればより多くのことを思い出していただろうと語った。
2016年に731部隊の少年隊員だったことを公表すると、清水さんは部隊の犯罪を明るみに出し、歴史の真実を伝えることに努めてきた。会見では「気持ちのいいことではない。本当は話したくない」としつつも「犠牲になった多くの中国人を思うと、話さないわけにいかない」と述べた。
8月26日、長野県飯田市で会見に臨む清水英男さん(中央)。(長野=新華社記者/楊光)
「中国人は本当に優しい」と中国人が戦後、日本人残留孤児を大切に育て、日本に送り返したことに話しが及ぶと声を詰まらせ「日本は中国とこれほど近い隣国なのになぜ仲良くできないのか、そればかり考える」と涙ながらに語った。
清水さんの謝罪の旅には、中国と日本の「友好人士」の支援を受けて大阪府保険医協会の医師20人余りも参加した。協会員の原文夫さんは、敗戦から80年を来年迎えるこの時期に清水さんが中国へ行き、731部隊跡地を訪れたことについて、真実の歴史を知る必要性と重要性をわれわれに改めて思い起こさせたと述べた。
ここ数年の日本での新たな軍国主義的動向は、日本国民を不安と混乱に陥れただけでなく、日本の今後に対するアジアの近隣諸国と国際社会の警戒と懸念を高めている。
清水さんのハルビン訪問に同行した伊壺一輝さんは会見で、今回の訪中を通じて当時の日本が中国に与えた被害を実感したと話し、軍国主義が清水さんの抵抗力を奪って中国侵略に加担させたのであり、清水さん個人を批判しても同じことが繰り返されるのを防ぐことはできないと指摘。日本人が過去に人権を脅かし、倫理観のない行為に及んだことを知る必要があると訴えた。
清水さんは「日中の友好を願っている。戦争だけは起こしてはいけない」と何度も繰り返した。(記者/楊光、李光正)