「バナナ共和国」、米国の支配から抜け出す苦闘の道のり

「バナナ共和国」、米国の支配から抜け出す苦闘の道のり

新華社 | 2024-08-10 16:28:04

   【新華社テグシガルパ8月10日】ホンジュラス第2の都市、北部サンペドロスラ近郊のラリマ市に、強制送還された移民の受け入れ施設がある。ほぼ毎日、米国から送還されたホンジュラス人が100人以上到着する。

   今年の米大統領選では、膨れ上がる一方の不法移民の波が論点の一つとなっている。米国の政治家たちはホンジュラスなどの中米諸国を「不法移民送り出し国」と非難している。だがこれらの国々の極度の貧困問題が解決しない限り、米国の不法移民問題の根絶は難しい。

ホンジュラスのナナ・バナナの農園で働く地元労働者。(6月5日撮影、テグシガルパ=新華社配信)

   歴史をひもとけば、ホンジュラスなどの国々が長期にわたり貧困に陥っていることに、米国は逃れようのない責任を負っていることが分かる。ホンジュラスはかつて「バナナ共和国」と呼ばれ、米国資本にとっては好き勝手に振る舞える「オアシス」、地元の貧しい労働者にとっては逃げ場のない「おり」となっていた。

   米国資本による支配の始まり

   バナナが米国で大量に消費されるようになったのは、1870年に米国人船長のロレンツォ・ベイカーがジャマイカから積んで帰ったバナナをニュージャージー州で販売したのが始まりとされる。瞬く間にバナナは米国で最も売れる果物の一つとなり、多くの商社が雨後のたけのこのように現れ、中米やカリブ海地域から大量のバナナを送り出すようになった。

 ホンジュラスでは1902年、政府が米国人フレデリック・ストライクに5千ヘクタールの土地を貸し出した。米国のバナナ商人サミュエル・ザムライがその土地の利権を取得し、クヤメル・フルーツを設立して本格的なバナナ経営を始めた。

 米国資本は19世紀末から20世紀初頭にかけ、多くの武力介入と扇動による政変を重ねながら、ホンジュラスの主要経済部門を徐々に掌握していった。ユナイテッド・フルーツ、スタンダード・フルーツ、クヤメル・フルーツなどの企業はホンジュラス北部の広大な土地を占拠し、大規模なバナナプランテーションを建設。交通や電力、製造業などの経済のライフラインも支配下に置いた。

ホンジュラスのナナ・バナナの農園で働く地元労働者。(6月5日撮影、テグシガルパ=新華社配信)

   1913年にはホンジュラスの貿易の90%以上を米国が独占するようになっていた。米国の多国籍企業の管理下で、バナナ生産を中心とする偏った経済構造が形成され、食料などの生活必需品を輸入に頼るようになり、ホンジュラス経済は非常に脆弱(ぜいじゃく)化した。

   「国家の中の国家」

   ホンジュラス北部のスラ渓谷にあるバナナ農園で働いていたエステバン・エルビルさん(91)は、米国企業は農園を全面的に支配していたと証言する。それぞれの農園に自社の売店を設け、縫い針から帽子、靴、なた、おの、拳銃に至るまであらゆるものを販売し、外部の業者がプランテーションで物を売ることは決して許さなかった。労働者はその週に米国人の雇い主から受け取った賃金を、翌週には米国人が開いた売店で使い切ることになった。

ホンジュラスのサンペドロスラでインタビューに応じる元バナナ農園労働者エステバン・エルビルさん。(6月6日撮影、サンペドロスラ=新華社記者/趙凱)

   当時の労働条件は極めて劣悪で、労働者はことあるごとにひどく殴られ、死に至ることもあったという。「文句を言う方法もなければ、言うことも許されず、言えるところもない。米国企業の経営者は大統領もしのぐ権力を持っていた」とエルビルさんは語る。

   例えばユナイテッド・フルーツは当時、多くの中米諸国の経済のライフラインを支配し、「国家の中の国家」として君臨した。ホンジュラスではテラ鉄道とトルヒーヨ鉄道の2社を通じて事業を展開。両社は関税免除などの特権を有し、鉄道建設を通じて沿線に広大な土地を取得、地元の木材などの資源を自由に利用できた。

   ホンジュラス国家統計局局長で社会学者のエウヘニオ・ソーサ氏は新華社のインタビューに「こうした優遇を得るために、(米国の)果物会社はホンジュラスへの鉄道建設を約束していた。だがその約束を果たすことはなく、申し訳程度に一部の路線を敷設しただけだった。ホンジュラスに全国を結ぶ鉄道路線ができたことはない」と指摘する。

   果物会社は政治にも影響力を行使し、実質的に大統領を任免することができた。「ユナイテッド・フルーツやスタンダード・フルーツなどの強大な会社は政府との関係がこじれれば、民兵を組織して別の政治勢力を育てた。選挙で不正行為が行われ、政府が打倒されることもあった。これが多くの政情不安につながった」

ホンジュラスのヨロ県エル・プログレソで1954年のゼネストを記念するシンポジウムに出席した同国国家統計局局長で社会学者のエウヘニオ・ソーサ氏(左)。(5月25日撮影、ヨロ=新華社配信)

   ▽ゼネストがホンジュラスを変えた

   1930年代初頭、米国は深刻な経済危機に陥り、海外市場の拡大を急いだ。だが長年にわたる「ドル外交」と「こん棒政策」で米国と中南米諸国との関係は緊迫しており、中南米の人々の反米感情は強烈だった。そこで米国は「善隣政策」を取り、「平等」「不干渉」などのスローガンを掲げたものの、実際には中南米への干渉と支配を続けた。

   米国によるさまざまな搾取や略奪、干渉を前に、ホンジュラスの人々は決して抵抗をやめなかった。20世紀初頭から数十年にわたり、ホンジュラスの労働者は賃上げと労働条件の改善を求めて度重なるストライキを起こした。

   1954年4月、テラ港の労働者が賃金問題を理由に業務を停止すると圧力をかけた。5月には鉱山、鉄道、紡績、タバコなどの産業の労働者に加え、ホンジュラス北部のバナナプランテーションの労働者や小作農、小規模農家もストライキに参加。ゼネストは60日以上続いて最終的に勝利し、労働者の要求のほとんどが実現された。

   元鉄道運転士アンドレス・アルバレスさん(87)は今でもこのストライキのことを鮮明に覚えている。「1954年のゼネストはわれわれの国にとって1821年の独立宣言に続く第二の独立だった。それまでホンジュラスが独立した主権国家だと言っていたのは全くのうそだった。ストライキで労働者が立ち上がり、われわれの労働条件や待遇は大幅に改善された」

   1975年からホンジュラス政府は、米国のバナナ会社の全ての利権と契約の取り消しを宣言し、これらの会社が支配していた土地の一部を国有化した。さらに港湾と鉄道の管理権を米国資本から接収し、バナナの生産、輸送、販売を自らの手中に収め、全ての森林資源と木材加工業も国有化した。ホンジュラスは外国資本による支配から脱却し、民族経済の発展に向けた一歩を踏み出した。

ホンジュラスの首都テグシガルパの大統領官邸でインタビューに応じる大統領顧問のホセ・マヌエル・セラヤ元大統領。(6月7日撮影、テグシガルパ=新華社配信)

   ホンジュラスの元大統領で現大統領顧問のホセ・マヌエル・セラヤ氏は新華社のインタビューに対し「わが国の人々の反帝国主義闘争は歴史あるもので、労働運動とも密接に結びついてきた。今日のホンジュラスはそこから生まれた」と指摘する。

   ▽終わらない不公正

   だがホンジュラス人にとって、長期にわたる不公正はこれで終わりではなかった。

   「米国人はわれわれの国で楽しんでいるのに、われわれが米国に行くと犬のように扱われる。これは全くの不公平だ」。フアン・マヌエル・ゲラさん(57)の目には話し終える前から涙が浮かんだ。5年間米国に住み、最近ホンジュラスに送還された。

米国から強制送還され、ホンジュラスのラリマにある送還移民受け入れ施設に飛行機で到着した人々。(6月6日撮影、テグシガルパ=新華社配信)

   エルビルさんは「米国企業はホンジュラスに何を残したのか」と問いかける。「米国は貧困、病気、疲弊、搾取を残し、富を奪い去っていった。ホンジュラスは中米で最も資源の豊富な国の一つだが、今では中南米の最貧国の一つになっている」

   2009年6月28日には軍事クーデターが発生し、当時のセラヤ大統領が辞任に追い込まれた。その後半年近くにわたり、ホンジュラスの政治情勢は混乱が続いた。クーデターの背後には米国の影があるとされる。クーデターに抵抗したホンジュラス国民は鎮圧され、多くの人がすみかを失い、一部の人々は暴力と貧困でやむなく米国に向かった。

   セラヤ氏は、20世紀に中南米とカリブ海地域で起きたクーデターの多くは、国境を越えた米国の利益集団に関わりがあると指摘する。「私はかつて米国のある高官に、米国にはクーデターを扇動するための手引きがあるのかと尋ねた。彼は1冊どころか4冊あり、さらにもう1冊作成中だと答えた」

 ▽「新しい時代の始まり」

 ホンジュラスでは2021年末、シオマラ・カストロ氏が選挙で勝利し、同国初の女性大統領となった。セラヤ元大統領の妻であるカストロ氏は就任後、外国の利益集団に頭を下げることを拒否し、外部勢力に支えられた寡頭政治の打破に着手した。

ホンジュラスの首都テグシガルパの街並み。(3月20日撮影、テグシガルパ=新華社記者/李梦馨)

   対外的には米国の圧力にあらがい、2023年3月に中国と正式に国交を樹立した。カストロ氏は、中国との国交樹立はホンジュラス政府にとって歴史的な決断だとし「『一つの中国』の原則を認め、中国と外交関係を樹立し、中国と協力することは、ホンジュラスに発展の機会をもたらす」と述べた。

   今年3月、ホンジュラスはラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)の2024年輪番議長国となった。カストロ氏は地域統合と民主主義を強化し、より公正で公平かつ豊かな地域の建設を提唱すると約束した。ホンジュラスは、ハイチ危機への外部勢力の干渉反対やエクアドルとメキシコの外交紛争調停などの議題について積極的に発言している。

   ホンジュラス最大のバナナ生産会社の一つ、ナナ・バナナ・ホンジュラスのサンドラ・デラス最高経営責任者(CEO)によると、同国には5万ヘクタール以上のバナナ畑があり、かつては米国企業に支配されていたが、今ではほとんどをホンジュラス人が経営している。「私たちはこの土地のあるじであり、バナナ栽培資源の所有者で、常にホンジュラス国民の利益を最優先に考えている」とデラス氏は胸を張る。

ホンジュラスのナナ・バナナの農園で働く地元労働者。(6月5日撮影、テグシガルパ=新華社配信)

   セラヤ氏は、カストロ氏がホンジュラス初の女性大統領となり、自主独立の内外政策を堅持していることに「新時代の始まり」を見る。「キューバ、ベネズエラ、ニカラグアへの(米国の)封鎖を敢然と非難し、ラテンアメリカとカリブ海地域の独立と共存に向けては壮大なビジョンを掲げる。わが国は今まさにグローバルサウスの発展に参加している」

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