豆腐発祥地に2千年続く八公山豆腐 中国安徽省

豆腐発祥地に2千年続く八公山豆腐 中国安徽省

新華社 | 2024-08-07 13:00:00

安徽省淮南市寿県にある豆腐工房「胡大泉」で、布を型に敷く胡学兵(こ・がくへい)さん。(6月4日撮影、淮南=新華社記者/賈稀荃)

  【新華社合肥8月7日】中国明代の医薬学者、李時珍(り・じちん)は著作「本草綱目(ほんぞうこうもく)」の中で「豆腐の法は漢淮南王劉安に始まる」と記し、豆腐の制作方法を細かく紹介した。前漢の皇族で淮南王に封じられた劉安は紀元前164年、寿春(現在の安徽省淮南市寿県)に封国に都を建てた。また、八公山で豆腐を発明し、その後豆腐作りは民間に伝わった。

  唐代の僧、鑑真(がん・じん)は757年に日本へ渡り、豆腐作りを伝えた。豆腐は宋代に朝鮮、19世紀初めに欧州、アフリカ、北米へも伝わり、世界的な食品になった。

安徽省淮南市寿県にある豆腐工房「胡大泉」で、煮立った豆乳を大鍋から寸胴鍋に移す胡学兵さん。(6月4日撮影、淮南=新華社記者/賈稀荃)

  中国で豆腐の発祥地とされる淮南市八公山の豆腐は2千年余りの歴史を持ち、2014年には「豆腐伝統制作技芸」として国家級無形遺産に登録された。

  寿県八公山郷大泉村で5代目として家伝の豆腐作りを受け継ぎ、豆腐工房を経営する胡志東(こ・しとう)さん(37)は「淮河両岸の大豆と八公山付近の湧き水に無形文化遺産の技術と組み合わさることで、初めて独特な八公山豆腐になる」と語った。

安徽省淮南市寿県にある豆腐工房「胡大泉」で、布を型に敷く胡学兵(こ・がくへい)さん。(6月4日撮影、淮南=新華社記者/賈稀荃)

  八公山豆腐は豆乳作りに使う大鍋をまきで強火に熱することから、わずかにまき火の香りが残る。凝固剤には石膏粉を使い、2人がかりで迅速に型に入れる。石膏粉の量がきめ細かさに影響する。豆腐を切るのに使うのは代々使われてきた長方形の黄銅刀で「豆腐は綺麗に切り出し、切り口に光沢がなければならない。それでこそ食欲が湧く」と胡さんは語る。

  八公山豆腐の職人たちは伝統を受け継ぎつつも製造工程に改良を加えてきた。淮南の豆腐文化は地元で豆腐に舌鼓を打とうとする観光客や、昔ながらの製法を学ぼうとする人々を呼び込んでいる。

安徽省淮南市寿県にある豆腐工房「胡大泉」で、豆乳を型に流し込む胡志東さん。(6月4日撮影、淮南=新華社記者/賈稀荃)

  淮南市の豆製品は、伝統的な単一商品から惣菜やスナックなど100種類以上に増え、同市農業農村局のデータによると、2023年の豆製品生産能力は約35万トンとなり、生産額は20億元(1元=約21円)を超えた。産業チェーン全体の生産額は45億元以上となっている。(記者/劉美子、賈稀荃、汪奥娜)

安徽省淮南市寿県にある豆腐工房「胡大泉」で、父の胡学兵さん(右)と布で豆腐を包む胡志東さん。(6月4日撮影、淮南=新華社記者/賈稀荃)

安徽省淮南市寿県にある豆腐工房「胡大泉」で、切った豆腐を皿に乗せる胡志東さん。(6月4日撮影、淮南=新華社記者/賈稀荃)

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