無錫の中日桜友誼林が37周年 受け継がれる友好のバトン

無錫の中日桜友誼林が37周年 受け継がれる友好のバトン

新華社 | 2024-03-30 11:41:32

   日中共同建設桜友誼林保存協会の創設者、長谷川清巳さん手製の会旗。(3月13日撮影、埼玉=新華社記者/姜俏梅)

   【新華社東京3月30日】中国江蘇省無錫市で開かれた国際桜ウイーク・中日桜友誼林建設37周年の記念イベントに、同市で桜の植樹を続ける日本の民間団体「日中共同建設桜友誼林保存協会」のメンバーが5年ぶりに参加した。訪中に先立ち埼玉県で新華社の取材に応じた新発田豊会長と妻の喜代子さんが、2世代37年にわたる植樹事業を語った。

   約束した場所を訪れると、テーブルの上に資料が所狭しと並べられていた。中国の地方政府から贈られた栄誉証書、中日両国の新聞記事などのコピー、植樹訪中団の映像資料、訪中メンバーの感想を集めた記念冊子…。これらは三十数年に及ぶ活動の記録のほんの一部だという。

   その中に黄ばんだ布が時代を感じさせる旗を見つけた。富士山と無錫の鹿頂山、桜、梅の絵の下に「日中共同桜友誼林保存協会」と書かれている。喜代子さんの父で協会の創設者、長谷川清巳さんの手製だと教えてくれた。

   会旗を手に撮影に応じる日中共同建設桜友誼林保存協会の新発田豊会長夫妻。(3月13日撮影、埼玉=新華社記者/姜俏梅)

   長谷川さんは1988年、第1回桜友誼林建設友好訪中団を率いて無錫を訪問。太湖湖畔の黿頭渚(げんとうしょ)に1500本の桜の苗木を植えた。中国側と協力して桜友誼林を建設する民間友好事業はここから始まり、これまでに植樹に参加した日本人は延べ約1万5千人に上る。中日桜友誼林は現在、木々が生い茂り、百品種以上、3万本を超える桜が無錫を中国有数の桜の名所にしている。

   長谷川さんは、かつて中国を侵略した日本軍兵士の一人だった。中国と日本が国交を回復すると、友人らと頻繁に中国へ行くようになったが、ある時、無錫で中国の友人から「以前に中国に来たことがあるか」「その時はどんな仕事をしていたのか」と尋ねられ、返答に窮したことがあった。友人は長谷川さんの様子に気が付き、慌てて慰めてくれたという。

   豊さんは「義父はその時のことを忘れませんでした。互いに戦争をしたのに中国の人々の心はとても優しいと感じ、いつか恩返しをしたいと思っていました。中国に行くたびに何かをしたいと考え、平和の象徴で、綺麗な桜を一緒に育てて、世界平和を祈ろうと提案したのです」と語った。

   日中共同建設桜友誼林保存協会に日本人が友好の願いを記して託した木札。無錫桜友誼林の桜の木に吊るされた。(3月13日撮影、埼玉=新華社記者/姜俏梅)

   2009年に長谷川さんが死去すると、保存協会会長のバトンは豊さんに引き継がれた。「2、3千年の日中交流の歴史にはいろいろあったが、それがすべてではない。次の時代を担う人たちに民間友好を間違えてほしくない。『中国へ行きたくない』ではなく、仲良くし、伝承していく。そのために力を注いでいる」と話した。(記者/姜俏梅、李光正)

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