聖容寺の境内と山頂に立つ唐代の仏塔。(資料写真、蘭州=新華社配信)
【新華社蘭州12月8日】中国甘粛省敦煌市にある世界文化遺産、莫高窟(ばっこうくつ)の第72、第203、第231各窟の壁画には、劉薩訶(りゅう・さっか)という名の僧侶と敦煌から東へ700キロ離れた場所にある古寺、聖容寺にまつわる不思議な伝説が描かれている。
聖容寺は同省金昌市永昌県にあり、創建は南北朝時代の北周王朝の保定元(561)年と1400年以上の歴史を持つ。学術界では敦煌莫高窟壁画の題材の由来の一つとされている。
伝説によると、劉薩訶は仏教経典を求めてインドへ向かう途中に永昌県の御山峡で「この地に天然の仏像が現れ、その変化が天下の盛衰を暗示する」という予言を残した。予言から85年後、断崖の石壁に高さ1丈8尺の浮き彫りの石仏が現れ、番禾瑞像(ばんかずいぞう)と呼ばれるようになった。
知らせを聞いた北周の皇帝は御山峡に大寺院の建立を命じ、寺はその後の王朝でも皇室寺院として大切にされた。隋唐時代には千人を超す僧侶が在籍し、参拝客であふれていたとされ、当時の繁栄ぶりが敦煌莫高窟の壁画や文献に記録されている。
伝説は聖容寺と敦煌莫高窟との文化交流の基礎を築いた。莫高窟には現在、番禾瑞像と聖容寺に関する壁画や榜題が描かれた洞窟が10以上あり、蔵経洞からも関連の絹画や文書などが多く見つかっている。
金昌市は2022年、敦煌研究院と文化財保護などに関する協力枠組み協定を締結。共同でセミナーや展覧会なども開催し、交流・協力を深めている。
今年11月25日には敦煌研究院が金昌市に文化遺産共同研究センターを設立。同市は今後、敦煌研究院が持つ遺産保護の経験を活用し、文化財の保護・展示・利用や人材育成などで深い協力を実施することで双方の「文化の縁」を継承していく。(記者/任延昕)pagebreak
聖容寺の南北両側の山頂に立つ七重塔。建立は唐代初~中期で甘粛省に現存する最古の仏塔とされる。(資料写真、蘭州=新華社配信)