9月21日、安岳県毘盧洞の柳本尊十煉窟。(安岳=新華社記者/尚文意)
【新華社成都10月5日】中国では漢代に仏教が伝来して以降、北方地区が長らく政治・経済・文化の中心であったことから、石窟寺の建設も敦煌(甘粛省)や雲岡(山西省)、竜門(河南省)など黄河流域が中心だった。時代が下り、唐宋時代になると、政治的、軍事的情勢の変化により、仏教石窟の造像も南に移り、四川省の広元市や資陽市安岳県、重慶市の大足区にさまざまな規模の石刻造像が出現した。
安岳県は古くは普州と呼ばれ、四川盆地の中央部に位置する。県内には唐代や宋代の摩崖(まがい)石刻造像が10万体余り、石窟経文が40万字余り現存し、唐宋時代の石窟が最も集中する県の一つとなっている。
四川省の石窟は複雑な地質環境に高温、多湿、多雨の気候が重なり、文化財が多種多様なダメージを受けている。地元では1人でも多くの人に美しい造像を見てもらいつつ、文化財保護の取り組みを加速させている。
安岳県では石窟文化に周辺自然環境やデジタル要素などを組み合わせた新しい文化観光融合モデルを打ち出し、より多くの人に安岳石窟の魅力を伝えている。(記者/尚文意、張海磊)pagebreak
9月21日、安岳県毘盧洞の水月観音造像。(安岳=新華社記者/尚文意)pagebreak
9月21日、安岳県円覚洞景区の釈迦牟尼(しゃかむに)石窟。(安岳=新華社記者/尚文意)pagebreak
9月21日、安岳県円覚洞景区の蓮花手観音窟。(安岳=新華社記者/尚文意)pagebreak
9月21日、安岳県毘盧洞の千仏洞窟。(安岳=新華社記者/尚文意)