旧日本軍の毒ガス製造拠点、大久野島を訪ねて

旧日本軍の毒ガス製造拠点、大久野島を訪ねて

新華社 | 2023-08-18 09:41:41

   【新華社広島8月18日】「ウサギの楽園」として知られる広島県竹原市の大久野島は、かつて毒ガス製造の最重要拠点だった。製造された大量の毒ガス弾は中国を侵略した旧日本軍によって、中国の兵士や民間人に危害を加えるために用いられた。

   日本の敗戦78周年記念日に当たる15日、地元の反戦平和活動家や友好団体、留学生らと共に同島を訪れた。

15日、大久野島の至る所に見られるウサギの図柄。(広島=新華社記者/馮武勇)

15日、広島県竹原市の忠海港から望む大久野島。日本の侵略戦争中には「毒ガスの島」だった。(広島=新華社記者/馮武勇)

15日、大久野島でウサギと遊ぶ観光客。(広島=新華社記者/馮武勇)

   日本は1929年から45年にかけて、国際法による禁止を無視し、化学兵器製造に用いる大量の毒性化学物質を生産。大久野島は約9割の生産を担った「毒ガスの島」だった。

   市民団体「毒ガス島歴史研究所」の山内正之事務局長(78)は、近年の日本の歴史教育では被害の歴史のみを語り、加害の歴史を語ろうとしないため、大多数の観光客は同島が「ウサギの島」であることを知っていても、「毒ガスの島」であったことを知らないと語った。

15日、大久野島における毒ガス工場分布図を見せる市民団体「毒ガス島歴史研究所」の山内正之事務局長。後ろの空き地には島内最大の毒ガス工場があった。(広島=新華社記者/馮武勇)

   資料によると、日本陸軍が島内に毒ガス工場を建設したのは27年。29年の稼働開始から45年の敗戦まで6千人余りが働き、生産した毒ガスは砲弾に装填されて中国の戦場へ絶え間なく運ばれた。旧日本軍が中国で行った毒ガス戦は記録にあるだけで1241回、中国の兵士や民間人の死傷者は20万人以上に上った。

   島には平和活動家が自発的に資料収集や資金調達を行い、88年に建設された毒ガス資料館がある。

   同館は民間施設だが、至る所に「無断撮影禁止」という注意書きがある。関係者によると、撮影には事前に竹原市長の許可が必要。一般来館者には取得困難とみられ、大多数の日本人観光客が島の背後にある罪悪の歴史を知らない原因となっている。

   実際、「毒ガスの島」の歴史は過去のものではない。島内で製造された化学兵器は今も中国の人々を脅かしている。

   旧日本軍は敗戦直前、罪を隠し責任追及を逃れるために未使用の化学兵器を大量に遺棄した。こうした兵器は中国の18の省・自治区・直轄市の120カ所以上で見つかっている。日本の敗戦から今日に至るまで、遺棄化学兵器が原因で中国人2千人以上が死傷している。

15日、大久野島に現存する島内最大の毒ガス貯蔵庫跡。(広島=新華社記者/馮武勇)

   日本政府は90年代後半に中国や国際社会からの圧力を受け、中国と「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」に署名したが、廃棄作業は遅々として進まず、4度も延期された。日本政府は今年7月、作業の完了期限を2027年まで大幅に延期すると決定した。

   中国の薛剣(せつ・けん)駐大阪総領事は「われわれとしては、改めて日本側に責任と義務を着実に履行し、各種の投入を全面的に強化し、各方面が一丸となって作業を加速させ、一日も早く日本の遺棄化学兵器の毒を徹底的に取り除き、中国の人々に汚れのない土地を返し、中国人が受けていた戦争の痛みを治めるよう強く促したい」と述べ、「歴史は最高の教科書であり、歴史を忘れることは裏切りを意味する。平和の道を守り続けるには歴史の真実を守らなければならない」と強調した。(記者/馮武勇、楊光)

15日、大久野島毒ガス資料館の外観。(広島=新華社記者/馮武勇)

15日、大久野島の毒ガス資料館に展示されている毒性物質貯蔵容器など。(広島=新華社記者/馮武勇)

15日、中国で毒ガス弾を使用する旧日本軍の写真を見せる山内正之さん。(広島=新華社記者/馮武勇)

15日、大久野島の毒ガス資料館に展示されている作業用防護服。(広島=新華社記者/馮武勇)

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