天津市の黄崖関長城で確認された隠し扉。(資料写真、天津=新華社配信)
【新華社天津1月7日】中国の万里の長城の防御システムを専門に研究する天津大学建築学院の張玉坤(ちょう・ぎょくこん)教授は4日、チームを率いて明代の長城を連続撮影し、130カ所を超える長城の隠し扉の実物遺構を選別し、それらの「図録」を初めて作成したと明らかにした。
中国の研究者による隠し扉の研究は、これまで散発的なものにとどまっていた。今回の研究は、あまり知られていない長城の「秘密の通路」を歴史書の中から浮かび上がらせ、完全で立体的な長城の建築システムを世界に示した。
長城の建設は、2千年以上にわたり続けられた。長城の隠し扉のほとんどは、地形や軍事面などの必要性に応じて人の目につかない部分に設けられた。低く小さな通路の開口部は長城の外側に面しており、長城の重要な構成部分となっている。
研究チームは隠し扉130カ所以上の実物遺構の写真分析を行い、いくつかの隠し扉について現地調査を実施。すると、それぞれの隠し扉が地形と高度に合致し、構造も必要に応じて異なっていることが分かった。チームに参加した天津大学建築学院の李哲(り・てつ)特別招聘研究員は「隠し扉には一つとして同じものはない」と語った。
歴史上、いくつかの隠し扉は斥候の出入りに使われていたが、長城内外の交流ルートとして使われた隠し扉もあった。明代の公式記録によると、政府は遊牧民の集団が放牧のため、隠し扉を通って青海や河套地域(黄河が「几」字形に湾曲する地域)を出入りすることを許可していた。馬2頭がすれ違える比較的大きな隠し扉の存在が、この事実を裏付けている。また、一部の隠し扉は通商の往来にも使われていた。
張氏は「これは、長城が完全に閉ざされていたわけではなく、秩序の下で『開放されていた』ことを証明している」と述べた。
今回の研究により「隠し扉」の中で最も秘密に包まれた「突門」の実物も初めて発見された。「突門」については唐、宋、明、清の学者の記述があるものの、現代では関連する研究はほとんどなく、対応する物的証拠も見つかっていなかった。
「突門」は隠し扉の中で最も秘密にされてきた出口で、敵に面した側はれんがを積んでカモフラージュされ、内部に面した側は実は空洞になっている。敵は外部からは入り口の位置を見分けられないが、隣接する主要な関所が敵の攻撃を受けた場合、または緊急事態が発生した場合、兵士はヒナが卵の殻を破るように内側から「突門」を突破し、奇襲をかけることができる。李氏は「これは中国の軍事的知恵の最たるものだ」と語った。
研究チームは、これまでに蓄積された膨大なデータベースを元に、デジタル技術を用いて長城の「顔」のさらなる復元を進めていく。(記者/白佳麗)