歴史に刻まれた「四大隊」と革命の旅路

歴史に刻まれた「四大隊」と革命の旅路

新華社 | 2026-06-20 23:15:45

新華社報道通信部門の一部職員による集合写真。後ろから2列目の右端が張連生氏。(資料写真、北京=新華社配信)

 【新華社北京6月20日】中国の習近平(しゅう・きんぺい)共産党中央委員会総書記は党成立105周年を迎えるに当たり、新華社の古参党員で102歳の張連生(ちょう・れんせい)氏から寄せられた手紙に返信し、張氏が記した「永遠に党と共に歩み、永遠に四大隊の一員である」という言葉に党を愛する真摯な気持ちが込められていると述べた。

 共産党中央縦隊四大隊の歴史は新華社の歴史であり、中国の報道史、そして共産党史に刻まれた「赤い伝説」でもある。

 共産党中央委員会は1947年3月、国民党軍の集中攻撃を打ち砕くため、延安からの撤退を選択した。毛沢東(もう・たくとう)主席は中央縦隊を率いて陝北(陝西省北部)を転戦しながら、全国の戦場を指揮した。新華社は二手に分かれ、一方は廖承志(りょう・しょうし)社長が職員の大半を率いて太行地区へ移動。もう一方は范長江(はん・ちょうこう)副編集長率いる作業チームで、党中央に従い陝北を転戦しながら報道と通信連絡を担った。

四大隊が陝北を転戦した際に使用していた無線機。(資料写真、北京=新華社配信)

 中央縦隊は「三支隊」というコードネームを持ち、その下に四つの大隊が置かれていた。范氏率いる作業チームは編集、翻訳、通信、後方支援などの要員で構成され、四大隊という正式名を与えられた。

 「中央は陝北にとどまり、文と武の二つの路線を通じて全国の革命闘争を指揮した。武の路線では無線電信を通じて戦闘を指揮し、文の路線では新華社を通じて世論を導いた」。毛主席が後に語った言葉は、四大隊の特殊な地位を示している。

 党中央と毛主席に付き従い、陝北を転戦した四大隊は、中央が必要とするさまざまなニュースや情報の収集と発信、編集、印刷を行った。各地の情報を中央へ集約し、共産党の権威あるニュースを発信する架け橋の役割を果たした極めて特殊な報道部隊だった。

四大隊が編集、発行した「新聞簡報」。(資料写真、北京=新華社配信)

 毛主席と党中央は陝北で解放戦争全体を指揮しており、意思決定の一助として膨大な資料を分析する必要があった。四大隊は、国民党中央通信社の無線ニュースやロイター、AP通信、UP通信など外国通信社の英文配信の抄訳を担い、毎号約4千字の「新聞簡報」と「参考消息」を編集、発行し、党中央の意思決定の参考資料として提供した。

 四大隊は、戦時下の極めて過酷な環境で試練に耐え抜いた。47年3月末に延安の瓦窯堡地区を離れてから1年余りで移動距離は千キロを超え、大規模な移動は8回に及んだ。

四大隊が党中央に従って陝北を転戦した際、米脂県楊家溝に置いた拠点。(資料写真、北京=新華社配信)

 解放戦争が勝利に向かう情勢に応じ、党中央は48年3月、黄河を東へ渡り、河北省平山県へ移動することを決定した。四大隊も党中央機関の部隊と共に陝北に別れを告げた。四大隊と廖社長率いる新華社総社(本隊)は6月、長期にわたる転戦を経て、ついに合流した。

 四大隊が歩んだ伝説的な報道の道のりは、歴史の重大な局面で、新華社が常に党中央と行動を共にしてきたことを示し、「革命家」「党の一員」としての政治的本質を鮮やかに物語っている。

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