
四川無差別爆撃の被害者らが東京地方裁判所で提起した対日訴訟の判決書資料。(1月8日撮影、成都=新華社記者/唐文豪)
【新華社成都1月14日】中国四川省成都市にある成都市档案館(公文書館)によると、旧日本軍が第2次世界大戦中、重慶を含む四川地域で行った無差別爆撃をめぐり、被害者の子孫である楊小清(よう・しょうせい)さんがこのほど、東京地方裁判所で2015年に一審判決が出た対日訴訟の関連資料を同館に寄贈した。
資料には、日本政府を相手に起こされた同訴訟の判決文書などが含まれている。判決書には、67人の被害者の体験が詳細に記録され、旧日本軍が当時の中国の戦時首都(陪都)であった重慶をはじめ、成都、楽山、自貢、松潘に対し無差別爆撃を行い、中国の多数の民間人が犠牲になったことを示している。
この大爆撃は四川の人々にとって集団的な苦難の記憶となっている。1937年7月に全国的な抗日戦争が始まった後、日本軍は四川から前線への支援を断ち、中国の軍民の抗戦意志を弱める狙いで、同地域に対し大規模な無差別爆撃を実施した。

成都市の人民公園にある「成都大爆撃」記念碑を見つめる市民。(1月8日撮影、成都=新華社記者/唐文豪)
判決書の記載によると、日本軍は1938年2月18日から1943年8月23日にかけて重慶に対し110回以上の空襲を行い、「五・三(39年5月3日)」「五・四(同4日)」の大空襲だけで3391人が死亡、2323人が負傷した。1938年から1941年にかけては成都で21回の空襲が行われ、1761発の爆弾が投下され、1388人の死者と1988人の負傷者を出した。1939年10月10日から1941年8月19日にかけては自貢に爆弾・焼夷弾1544発が投下され、987人が死傷した。1939年8月19日から1944年11月21日までの楽山への爆撃では少なくとも920人が死亡、831人が負傷。1941年6月23日の松潘県への爆撃では198人が死亡、407人が負傷した。
犠牲者には、乳児や青少年、主婦、教員、商人など、多くの一般市民が含まれていた。
成都市档案館には、空襲時の避難指示や被害統計、被災状況、救済を求める住民の記録など、当時の惨状を伝える資料が1万点以上保管されている。
同館利用編研処の賈燕妮(か・えんじ)処長は、所蔵資料に基づく大まかな統計によると、日本軍の大爆撃により成都では1700人以上が死亡、3500人以上が負傷し、1万5千棟の住宅が破壊されたと説明した。
楊小清さんは「寄贈した文書が、世代を超えて戦争の罪を記憶していく一助になれば。中日両国の人々がかけがえのない平和を共に守っていってほしい」と語った。